親鸞聖人のお歌の心を読み解くサイト

親鸞聖人の主著『教行信証』

Posted on 23rd 2月 2015 by はるき in 親鸞の教え

少しずつ日も長くなり、
春が近づいている今日このごろです。

まだ寒い日が続きますが、
親鸞聖人のお歌を通じて
親鸞聖人を学んでいきたいと思います。

今日はここからです。

我(わが)真宗の 組織(くみたて)は
この時ここが まことぞと
教行信証 六巻に
真意を開き 著わさる

親鸞聖人は52歳の時、
「我が浄土真宗の教義の組織(骨格)はこうである、
ここに書いたこれこそまことの教えである」と

『教行信証』6巻にお釈迦さまの真意を
開き著してくだされたのです。

親鸞聖人が何を教えられたか、
それはすべて『教行信証』に書かれています。

親鸞聖人と言えば
『歎異抄』が有名ですが、
『歎異抄』は
『教行信証』に書かれている親鸞聖人の教えをよく理解し、
『教行信証』を物差しとして読まなければ、
とんでもない読み間違いをするところが多いのです。

『教行信証』こそ、万人の救われる唯一の道を
開顕されたお聖教(しょうぎょう:仏教の本)であり、
難度海の人生に沈む、すべての人にとっての
羅針盤なのです。

親鸞聖人が「世界の光」、といわれるゆえんです。

続けて、親鸞聖人のお歌を通して、
お話ししていきたいと思います。

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親鸞聖人降誕会で明かされた「なぜ生きる」

Posted on 30th 5月 2014 by はるき in 未分類

親鸞聖人がお生まれになったのは5月21日です。

その前後、各地で親鸞聖人がお生まれになったことをお祝いし、
親鸞聖人降誕会(ごうたんえ)がつとめられます。

先日、浄土真宗親鸞会で、降誕会が勤修され、
そこで聞かせていただいたことを通して少しお話ししたいと思います。

かつての人気番組で歴史上の人物ベストワンと言われるほどの親鸞聖人。
約800年前に生まれられたことを喜び、
90年のご生涯、何を教えられたのか、
その教えをよく、正確に聞かせていただくご縁が親鸞聖人降誕会です。

親鸞聖人は何を教えられた方なのでしょうか。

「なぜ生きる」、このこと一つ教えられました。
いや、親鸞聖人しかなぜ生きる、を教えられなかった、
ということです。

「なぜ生きる」
こんな毎日の繰り返しに何の意味があるのだろう、
そう思われたことがある人は少なくないのでは
ないでしょうか。

これは実は古今東西の全人類の問題です。

「古今」とは仏教で三世(さんぜ)、ということです。
過去世、現在世、未来世のことで、いつでも、
ということです。

「東西」とは仏教で十方(じっぽう)のことです。
四方、八方とは聞かれたことがあると思いますが、
仏教ではどこでも、ということを十方といわれます。

親鸞聖人が「なぜ生きる」を教えられた、ということは
800年前の人、日本の人だけにおっしゃったのでは
ない、ということです。

親鸞聖人は、アメリカの人にも、中国の人にも、
フランスの人にも、すべての人に、
そして現代の私たちに、そして未来の人たちに
ずぅーっと、
「何のために生きるのですか」と問い続けられている、
ということなのです。

親鸞聖人の教えと関係のない
古今東西の全人類はいない、といえるのでは
ないでしょうか。

親鸞聖人の教えを世界の光と言われる所以を
改めて知らされた思いです。

私たちは生まれてきたということは、
空と水しか見えない海に放り込まれた、ということと
いえないでしょうか。

泳がなければ死んでしまいます。
泳ぐときに問題になるのは二つ考えられます。

どう泳ぐかの泳ぎ方と、もう一つは泳ぐ方角です。
その二つのうち最も大事なのは泳ぐ方角です。

いや、泳ぎ方、どう泳ぐかのほうが大事だよ、
と言われる人はあるでしょうか。
泳いでいたら、やがて力尽きてしまいます。
泳ぐのは大変だからです。
生きることが大変ということと同じです。

あの芥川龍之介は言っています。

「人生は地獄よりも地獄的である」と。

そんな人生に絶望し、三十代半ばで芥川は自殺しています。

お札になった夏目漱石は妻に宛てた手紙で
「人間は生きて苦しむための動物かもしれない」と
言っています。

これらの人は人生の表、裏をすべて知り尽くして
それを表現できる人たちです。

これだけ政治、経済、科学が変わっても、
自殺者は絶えることがありません。

日本だけで毎年三万人近くの人が自ら命を
絶っています。
苦しい人生、なぜ生きるのでしょうか。

先月、韓国のフェリーが転覆したという
大変な事故がありました。

そして悲しいことに高校生が
たくさん亡くなりました。

修学旅行に行く高校生の多くは、
眠れないほどうれしかっただろうと思います。

まさかその日の朝食が最後の食事になろうなんて
夢にも思っていなかったでしょう。

しかし、夢うつつの船旅行から目を
さまさせられます。

事故が起きて、船が傾いていく、
初めは船内放送でじっとしておれ、とのことでしたので、
問題ないと思っていましたが、
いよいよ船が沈んでいく時に、助からないと分かった時に、
船内が一変し、地獄と化したのではないでしょうか。

これは全人類の姿と言ってもいいのではないでしょうか。

こうなることが分かりながら、なおも生きるしかない
人間の姿を地獄的である、と芥川龍之介は言いたかったので
ないでしょうか。

私たちにも、必ず沈没、死という一大事があります。
この一大事を仏教で後生の一大事と言われ、
この一大事の解決こそ、なぜ生きるの答えであると
親鸞聖人は教えられているのです。

続く

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親鸞聖人を恨んだ弁円が、なぜ親鸞聖人のお弟子になったのか

Posted on 17th 4月 2014 by はるき in 親鸞の布教

満開の桜もあっという間に散ろうとしています……。

月日がたつのは本当に早いものですね。

親鸞聖人のお歌を通してお話ししています。

今回はここからです。

「板敷山の弁円は
 如来大悲の恩をしり
 御同朋とさとされて
 今はかしずく語り草」

板敷山の弁円とは、
加持祈祷で多くの信者を集めていた山伏です。

当時、関東で一大勢力を誇っていましたが、
親鸞聖人が真実の仏教である阿弥陀仏の本願を
ひたすら伝えられたことで弁円の信者も弟子も、
次第に親鸞聖人の教えを聞くようになったのです。

それに腹を立てた弁円は
暗殺を計画するも失敗、
やがて親鸞聖人を殺そうと
白昼堂々と稲田の草庵に刀を抜いて
押しかけたのでした。

そんな弁円に対し、
「立場が違えば、私が殺しに来たのだ。
何とか弁円殿に阿弥陀仏の本願を伝えたい」
と、数珠一連を持たれて、懐かしい人でも
迎えるように、弁円の前に出て行かれたのです。

怒り狂っている弁円ではありましたが、
親鸞聖人の慈悲温光なお姿に、
振りかざした刀をおろすことができず、
大地にひれ伏し、懺悔したのです。

弁円は親鸞聖人から、
「ともに阿弥陀仏の本願を聞信させていただく
我らは御同朋・御同行じゃ」と
優しくさとされ、弁円は
親鸞聖人のお弟子になったのです。

阿弥陀如来の大慈悲を知らされ、
明法房と生まれ変わった弁円の物語は、
800年を経た今日もなお、語り草と
なっているのです。

つづく

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「なぜ生きる」親鸞聖人のお答え

Posted on 6th 6月 2013 by はるき in 親鸞の教え

6月になり、もう今年も半年が
たとうとしています。

アジサイの花も咲きつつあり、
本格的に梅雨が始まりました。

頑張って乗り切りたいと思います。

早速、
前回の続きをお話しします。

親鸞聖人は日野左衛門に
「なぜ生きる」を明らかになされました。

一夜の宿を邪険に断ったことを悔い、
石を枕に、雪を褥に門前で
休んでおられた親鸞聖人を
自宅に招き入れた日野左衛門でした。

坊主嫌いで宿を断った日野左衛門に、
親鸞聖人は事情を聞かれる。

葬式や法事だけをする坊主は論外で、
どう生きるかを教えるのが坊主の役目だろう、
と日野左衛門は憤慨していたのです。

しかし、親鸞聖人はどう生きるかも大事だが、
「なぜ生きる」はもっと大事ではなかろうか、と
日野左衛門に問われました。

「そう言われればそうだ……。
なぜ生きるかの一大事を、
おれは忘れていたのか……」

とわれに返った日野左衛門。

親鸞聖人はすかさず、それをはっきり教えられたのが、
仏法を説かれたお釈迦さまであることを
話されました。

親鸞聖人の主著『教行信証』冒頭に

「難思の弘誓は難度の海を度する大船、
 無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」

と仰っています。

難思の弘誓とは阿弥陀仏の本願のこと。
阿弥陀仏とはどんな仏さまかと言いますと

蓮如上人は『御文章』で

「ここに弥陀如来と申すは三世十方の諸仏の本師本仏なり」

と言われているように、
大宇宙にまします無数の仏の本師本仏、
先生が阿弥陀如来という仏さまなのです。

お釈迦さまは諸仏の一仏ですから、
お釈迦さまの師匠にあたる仏が阿弥陀仏です。

その阿弥陀仏のなされたお約束が阿弥陀仏の本願なのです。

「難度の海」とは私たちの一生のこと。
苦しみ悩みの波の絶えない海のようなものが人生である、
ということです。

そんな難度海にあって、大きな大きな船がある。ということは
誰でも乗れる、ということです。
70億の人、全人類が乗ってもいっぱいになることはない。
そんな船を阿弥陀仏が作ってくだされたのです。

難度海には丸太や板切れが浮いている。
金や財産、健康、名誉、地位、妻子、邪教、迷信などがそれです。

丸太や板切れは海に浮かんでいますから、必ず裏切られる時がくる。
難思の弘誓という大船のみが裏切らない、難度の海を
明るく渡してくだされる船なのです。

だから親鸞聖人は一向専念無量寿仏を徹底して教えられました。
これはお釈迦さまのお言葉です。

無量寿仏とは阿弥陀仏のことですから、阿弥陀仏一仏に
向きなさい、阿弥陀仏だけを信じなさい、ということです。

阿弥陀仏だけが私たちを救う力がある、だから
親鸞聖人はこのこと一つ徹底されたのです。

あまりにも一向専念無量寿仏を徹底なされましたから、
当時の人々は親鸞聖人の教えを一向宗とまで言うようになったのです。

しかし、殺生ばかりしている俺なんか、縁なき衆生さ、と
あきらめていた日野左衛門に、さらに親鸞聖人は仰います。

この苦しみの海を乗せて、阿弥陀仏の極楽浄土まで渡してくだされるのは
阿弥陀仏の船だけです。

他の諸仏も助けようと悲願をたてられましたが、
その悲願に漏れたのが私たちなのです。

阿弥陀仏が必ず乗せてくだされる。
だからあきらめなくていいんです。

聞法の場はこの船に乗せていただくための場です。
乗りたかったら仏法を聞きなさい。

あきらめる必要はない。
近くに大船があるから乗りなさい。
この船のあること、どうしたら乗せてもらえるのか、
そのことを聞くのです。

この船に乗せていただくことこそ、
人生の目的であり、なぜ生きるの答えなのです。

順々と親鸞聖人は日野左衛門に話されたのです。

「なぜ生きる」親鸞聖人のお答えに驚いた
日野左衛門は続けて真剣に聞くようになり、
後日、石を枕に休まれた我が家を、枕石寺と名付け、
弥陀の本願を関東に伝えた、二十四輩の一人、
入西房となったのです。

引き続き、浄土真宗親鸞会でお聞きしたことを
お話ししたいと思います。

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仏教の役割、僧侶の仕事

Posted on 28th 3月 2013 by はるき in 未分類, 親鸞の教え

3月も終わろうとしています。
少しずつ春の気配を感ずる今日この頃です。

親鸞聖人と聞くと皆さんはどんな印象をお持ちでしょうか。

最近の若い人はそのお名前さえ知らない、という人もあると聞きます。
小、中学校の教科書にそのお名前と主著が出ていたのを思い出します。

高校の現代社会という科目のテストでは
「親鸞聖人が教えられた『悪人正機』とはどんな教えか」
という問題がありました。

答えは残念ながら覚えておりませんが、
歴史上の人物として学校で習われた方は多いのでは、と思います。

親鸞聖人が教えられたことと私と何の関係があるのか。
その親鸞聖人の教えを
そのご一生を歌われた「親鸞聖人のお歌」から学んでおります。

今日は前回の続きです。

尊い方の夢のお告げに順い、
猟師であった日野左衛門は自分の家に親鸞聖人と
そのお弟子を招き入れたのでした。

暖をとられながら、親鸞聖人は仰いました。

親鸞聖人
「突然お邪魔をした見ず知らずの者に、
このようなお心遣い、かたじけのうござる。

日野左衛門殿。こんなことを尋ねては失礼だが、
夕べ、『坊主は大嫌いだ』と言われていたようだが……」

日野左衛門
「いや、つまり……、あれはだな。
葬式や法事で、わけの分からんお経を読んだり、
たまに説教すりゃ、地獄だの極楽だのと、
死んでからのことばっかり言って、金を持っていく。
そんな者おれは大嫌いでなあ……。

だってそうじゃねえか。奴らのやってることは、
墓番と葬式だ。死んだ人間の後始末ばかりだ。
どうして生きてる人間に、どう生きるかを教えねえんだ。
それが坊主の役目だろう。

おれたちゃあ毎日どう生きるかで、
朝から晩まで一生懸命なんだ。

その、どう生きるかを少しも教えねえで、
汗水流して稼いだ物を、持っていきやがる……」

ここで、日野左衛門が坊主、僧侶についての
不満を親鸞聖人にぶつけています。

僧侶の仕事、役割とは何でしょうか。

墓番、葬式しかやらず、死んだ人間の後始末ばかりしている
坊主は論外として、
日野左衛門のように「どう生きるか」を
教えるのが僧侶でしょうか。

僧ということについて、
私たちはどういうイメージを持っているでしょうか。

NHKの『クローズアップ現代』という番組で
次のようなアンケートが紹介されていました。

ある講演で取られたアンケートだそうです。

・仏教に対して良いイメージをもっている人は90%
・寺に対して良いイメージを持っている人は25%ぐらい
・僧侶に至っては良いイメージを持っている人は10%ぐらい

というものでした。

仏教に対しては、
現代の多くの人たちが何か尊い、大事なことが
教えられている、と思っているようです。

しかし、
大多数の人が、寺や僧侶に対しては日野左衛門のように
良いイメージを持ってはいないということが分かります。

それに対して、
親鸞聖人が大変尊敬なされている
聖徳太子は『十七条憲法』に次のように仰っています。

「篤く三宝を敬え。三宝は仏・法・僧なり、
すなわち四生の終帰・万国の極宗なり。
何の世・何の人かこの法を貴ばざる。
それ三宝に帰せずしては、何を以てかまがれるを直らせん」
(十七条憲法)

この世に三つの宝がある。
仏宝、法宝、僧宝の三つです。
仏と、仏の説かれた法と、それを正しく伝える僧侶のこと。

親鸞聖人が日本のお釈迦さまだ、と尊敬される
聖徳太子は、僧侶は宝であるから敬いなさい、大切にしなさい、
と教えられているのです。

そんな私たちにとって大切な宝である僧侶に対して、
なぜ、私たちは、良いイメージを持たなくなって
しまったのでしょうか。

引き続き、親鸞会でお聞きしたことを
お話ししたいと思います。

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親鸞聖人が石を枕に雪を褥に仏法を伝えられたご苦労

Posted on 15th 11月 2012 by はるき in 親鸞の布教

11月も中ごろとなり、
もう冬になろうとしています。

親鸞聖人のご命日は11月28日、
親鸞聖人の報恩講が各地でなされています。

親鸞聖人のご一生とはどんな波瀾万丈だったのでしょうか。

そのご一生について「親鸞聖人のお歌」から学んでおります。

今日は前回の続きです。

悲しきかなや 愚禿鸞
きびすを返し 常陸へと
すすまぬ御足 運ばれて
稲田の草庵の 仮住居

恩師・法然上人のご逝去の報を聞かれ、
流刑の地・越後から関東に向かわれたのは
親鸞聖人40歳過ぎのことでした。

そして迷信邪教のはびこる関東で、
常陸国・稲田(現在の茨城県笠間市稲田)に草庵を結ばれ、
新天地での布教を開始されたのです。

門前払いにあわれながらも、次々と戸別訪問していかれる。
畑で働く人々にも近寄って話をされるが、皆、帰っていく。
その中、聞きたいという人が現れる。

親鸞聖人のその歩みは、田畑を耕し、種をまき、苗を植え、
水を注いで育てるが如く、堅実に、ゆっくりしたものでありました。

ある雪の日、聖人は道に迷われ、
ようやく見つけた家で一夜の宿を頼まれたのですが、
仏法嫌いの猟師・日野左衛門に
邪険に断られてしまったのです。

その時、何とか仏縁をと念じて、日野左衛門の家の門で
石を枕に、雪を褥に休まれました。

その時、親鸞聖人は次のように歌われました。

『寒くとも、たもとに入れよ、西の風、
 弥陀の国より、吹くと思えば』

「阿弥陀如来からお受けした、
 大きなご恩を思えばなあ、親鸞。
 ものの数ではない」

なおも降り続く雪。
家の中で寝ている日野左衛門は夢を見る。

(夢の中)
闇に突然、光に包まれた人が現れ、厳かに告げる。

「日野左衛門。今、汝の門前に、尊い方が休んでおられる。
 直ちに参って、教えを受けよ。
 さもなくば、未来永劫、苦患に沈むぞ」

日野左衛門は、がばっと起き上がり、親鸞聖人のことが
心配になる。そして妻のお兼と外に出て様子を見てみると、
門の下に親鸞聖人が雪の布団をかぶったようになっておられた。

急いで家の中に親鸞聖人を招き入れ、暖をとっていただいたのでした。
日野左衛門はあぐらをかき、黙々と囲炉裏の薪を足します。

そこで親鸞聖人は日野左衛門に「なぜ生きるか」を教えられた
真実の仏法を伝えられたのです。

つづく

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親鸞聖人の新たな戦い

Posted on 5th 7月 2012 by はるき in 親鸞の御歌解説

あっという間に7月です。1年の折り返し地点を過ぎました。

早速、親鸞聖人のお歌を
学びたいと思います。

お歌の初めはこのように歌われています。

――――――――――――――――――

おそれおおくも いまここに
見真大師が 真宗を
開きたまいし 御苦労を
のべて御恩を よろこばん

――――――――――――――――――

『燕雀、安んぞ大鵬の志を知らんや』で、
聖人のご生涯を記すなどおそれ多いのは百も承知だが、
それでも書かずにはおれないのです、ということです。

燕雀とは
燕(つばめ)や雀(すずめ)などの小さな鳥のこと。

大鵬とは
ひとっ飛びに9万里ものぼるといわれる想像上の大鳥のこと。

「親鸞様の大御心など分かろうはずのない私が、
聖人のご一生をあれこれ歌に表すのは、
あまりにも危険の多いこと。

しかし、書かずにおれないのです。
恐れの多いことは承知の上で、
若輩ながらここに記させていただきます」

 作者、宝尋のやむにやまれぬ述懐で
始められているお歌なのです。

今日は次のフレーズからです。

――――――――――――――――――

無常の風は惨ましく
恩師の死去は聖人の
衣の袖に便り来て
こころを傷め きずつきぬ

悲しきかなや 愚禿鸞
きびすを返し 常陸へと
すすまぬ御足 運ばれて
稲田の草庵の 仮住居

――――――――――――――――――

無常の風は何人にも容赦がありません。
親鸞聖人は京都への旅の途中で、
法然上人ご逝去の悲報を聞かれたのです。

その知らせに愕然と膝を折り、
泣き崩れられた親鸞聖人。
悲嘆の涙に衣の袖を濡らされたのでした。

衝撃のあまり、聖人は、路傍に血を吐かれた、
とまで伝えられています。

親鸞聖人「都行きは……、やめる」

お弟子「え?京へは、帰られないのですか」

親鸞聖人
「法然上人のおられぬ京に、もはや未練はない」

(くるりと向きを変えられて)

「東国へ行く!関東で、阿弥陀如来の本願を、力一杯、
 お伝えしようではないか」

「十方衆生と誓われている、弥陀の本願。
 関東の人々にも、伝えきらねばならない!」

 親鸞聖人は方向を転換され、関東へ向かわれた。
常陸の国(茨城県)の稲田という在所に草庵を造り、
仮の住居とされたのです。

親鸞聖人の、真実開顕の新たな戦いが、
始ろうとしていた……。

(つづく)

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親鸞聖人の、恩師法然上人への思い

Posted on 22nd 5月 2012 by はるき in 親鸞の御歌解説

新緑まぶしい季節となりました。
肌寒くなったり、暑くなったりと気温の変化はまだ激しいようです。

続けて、親鸞聖人のお歌を学んでいきたいと思います。

建暦二年 免されて
配所の五年 夢の跡
名残惜しまれ 昨日今日
帰洛の旅の 身の軽さ

建暦二年、親鸞聖人は無法な束縛から解放され、
自由な身となられました。

過ぎてみれば、配所(流刑の地)での苦しかった5年の生活も、
夢のようなものでした。

いざ、去るとなると、越後の地への名残は尽きません。

しかし、京都には法然上人が戻っておられます。

一日も早くお会いしたく、
再会できる喜びから、
旅は、身も軽く、足どりも速かったのです。

親鸞聖人が流刑の判決を受けられ、法然上人と別れられた時は
もう二度と、法然上人には、お会いできないと
思っておられたに違いありません。

その時に親鸞聖人が法然上人に仰ったことは
今も胸に迫ります。

親鸞聖人
「お師匠さまは南国土佐へ……。
 遠く別れて西東。生きて再び、
 お会いすることができましょうか。

 覚悟していたことではございますが、
 あまりにも、あまりにも、早すぎます。

 お師匠さまぁー!」

親鸞聖人はご和讃に

  曠劫多生のあいだにも
  出離の強縁知らざりき
  本師源空いまさずは
  このたび空しく過ぎなまし  (『高僧和讃』)

幾億兆年のあいだにも、知り得なかった弥陀の本願。
お師匠さま、法然上人がおられなければ、親鸞、二度とないチャンスを
失い、永遠に苦しんでいたにちがいない。
危ないところを法然上人に救われた、

とまで仰っています。

有名な歎異抄には

「たとい法然聖人にすかされまいらせて、
 念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候」

と言われています。

たとえ法然上人に騙されて、念仏して地獄に堕ちても、
親鸞なんの後悔もないのだ、との仰せです。

あの人ならば、騙されて地獄に堕ちても後悔しない。
そんな人が私にあるだろうか……。

親鸞聖人の法然上人に対する敬慕の念、
尊敬の情は想像も及びません。

昔、関東の同行が親鸞聖人一人を命として
京都へ命がけの旅をしたことが
歎異抄に書かれています。

後生の一大事の解決こそが人生の目的であると知らされた
関東の同行にとって、
頼れる方は親鸞聖人、ただお一人でした。

命とできる人が、一人でもあれば
それは大変な幸せなことだと思います。

教えを説いてくだされる先生、善知識への思いを、
親鸞聖人や歎異抄のお言葉を通して知らされ、反省させられます。

その親鸞聖人が帰京の途中で
法然上人逝去の知らせを聞かれたのでありました……。

つづく

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親鸞聖人のお歌に学ぶ流罪の地での親鸞聖人のご布教

Posted on 26th 1月 2012 by はるき in 親鸞の布教

全国各地を寒波が押し寄せ、
雪での事故が相次いでいるそうです。

余裕をもった行動を心がけて、
車の運転は慎重にしたいと思います。

さて、今年も親鸞聖人のお歌を学んでいきたいと思います。

流罪の身をば 方便と
都に散りし 法の花
厳寒深雪の 越後路に
御法の春をぞ 迎いける

この親鸞聖人のお歌の大意は、

「越後流刑になったのも、かの地の人々に仏法を広めよ、
との阿弥陀仏のご方便」と受け止められ、
都を追放された親鸞聖人は、寒さ厳しく雪深い新潟の地で、
阿弥陀仏の本願を説き続けられました。
すると各地に法の花が咲き、越後は仏法の春を迎えたのです。

新潟県上越市が、親鸞聖人流罪の地でした。
流罪の地に立たれた親鸞聖人のご心中は
いかなるものだったのでしょうか。

御伝鈔に書かれています。

「そもそもまた大師聖人もし流刑に処せられたまわずば、
我また配所に赴かんや。もしわれ配所に赴かずんば、
何によりてか辺鄙の郡類を化せん。是れなお師教の恩致なり」

もし恩師・法然上人が流刑に遭われなかったならば、
親鸞もまた流罪になってこの地に来ることはなかった。

ここに来ることがなければ、どうして越後の皆さんに
阿弥陀仏の本願をお伝えすることができたであろうか。

これこそ、越後の人々に、本願をお伝えせよとの、
阿弥陀如来のご方便であり、法然上人より賜った勝縁である、

と親鸞聖人は喜ばれ、ひたすら布教に突き進まれるのでありました。

しかし、親鸞聖人のお立場は、”罪人”でありました。
越後の村人たちが、すぐに耳を傾けたとは思われません。
ところが、親鸞聖人は雪の中、次のように歌われています。

「この里に 親をなくした 子はなきか
 み法の風に なびく人なし」

“この越後にも、親鸞と同じように、
親と死に別れた人もあるだろうに。

聞き難い真実だなあ。
どうして親鸞は聞けたのか”と

流刑の苦難も、布教のご苦労も、
すべて喜びと転じ変わっておられるのです。

そして、一人また一人、
親鸞聖人のまかれた法の種によって真実求める人が増え、
越後はやがて、仏法の春が到来したのです。

寒さ厳しい日々の中で、
私たちもたゆまず真実の種を蒔き、
一人一人の胸に遇法、聞法の喜びの春を迎えられるよう、
精進したいと思います。

(つづく)

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親鸞聖人はなぜ、非僧非俗と言われたのか

Posted on 8th 11月 2011 by はるき in 親鸞の御歌解説

11月に入り、紅葉がきれいになってきました。
月日が経つのは、はやいもの。

年賀状発売、年末商戦、せわしくて、
落ち着くヒマもないですね。

親鸞聖人のお歌を、心静かに我が身を
振り返るご縁にしたいと思います。

罪名藤井の善信と
仮名を立てて 聖人は
西仏蓮位を召し連れて
越路を指して 旅立ちぬ

35歳で時の権力者の迫害を受け、
流罪の身となられた親鸞聖人は、
藤井善信と名を変えられ、
西仏房と蓮位房の二人を召し連れて、
雪深い越後へと、旅立ってゆかれたのです。

権力者の無法な弾圧に、馬ふれれば馬を斬り、
人ふれれば人を斬る、
獅子奮迅の親鸞聖人の怒りはすさまじいものでした。

親鸞聖人の主著、
教行信証には激しい権力者批判が記されています。

「主上、臣下、法に背き義に違し忿を成し、怨を結ぶ。
これによりて、真宗興隆の太祖源空法師、
併に門徒数輩、罪科を考えず、猥しく死罪に坐す。
或は僧の儀を改め姓名を賜うて遠流に処す。
予は其の一なり。
爾れば、すでに僧に非ず俗に非ず、
是の故に禿の字を以て姓と為す。」

天皇も臣下もまことの大法に背き、正義に違い、
みだりに無法の忿を起こし、怨を結び、
遂に浄土真宗を興隆して下された法然上人を
始め門下の秀俊な人々に対して
罪科の如何を考えもせず、
ほしいままに死罪を行い、
又は僧侶の資格を剥奪して遠国に流したのだ。
迫害するのは権力の本性とはいいながら、
何という違法であろうか。

愚禿親鸞もその流刑に遭った一人である。
されば、かような擯罰を受けた上は、
もう僧でもなければ俗でもないから
破戒僧の異名といわれる
禿の字をもって自分の姓とした

親鸞聖人はここで、「非僧非俗」と
宣言されています。

非僧非俗、とは僧侶に非ず、
俗人に非ず、ということです。

僧侶に非ず、ということは、
権力によって承認されて葬式や法事を
専門にする僧侶ではない、ということです。

俗人に非ずとは、生活のために
職業をもっている在家の立場でもない、
との意味です。

えっ、親鸞聖人は僧侶でないの?
俗人でもないって、どういうこと?
と思われる方も多いと思います。

先月、朝日新聞の全面広告で
紹介されていた『親鸞聖人の花びら 桜の巻』という本に

「親鸞聖人はなぜ、非僧非俗と言われたのか」との
問いに対する答えが載っていました。
その一部を引用します。

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 全生命を、真実の開顕のみに生涯を托された聖人の歩みには、僧籍もなし、寺院にも住まわれず、葬式、法事、墓番など、おおよそ、僧らしきことは何ひとつなされなかったので、僧に非ずと言われたのです。
「更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法を、われも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」
 聖人の日々は、ただ、弥陀の本願を正確に迅速に、一人でも多くにお届けする、献身的布教と著作活動のみに費やされ、世俗の職業につく暇がなかったので、俗にも非ずと言われたのでありましょう。
 まさに、非僧非俗で一生貫かれたのが親鸞聖人でありました。

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親鸞聖人が尊敬されていた聖徳太子の
お言葉を思い出します。

『篤く三宝を敬え。三宝は仏・法・僧なり』
(十七条憲法)

ここで言われる「僧」とは正しい仏法を
伝える本当の僧で、
まさに親鸞聖人のような方を言われるに違いありません。

「非僧非俗」の宣言から伝わる
親鸞聖人のお気持ちに、
私たち親鸞学徒は奮起せずにはいられないのです。

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