親鸞聖人のお歌の心を読み解くサイト

親鸞聖人のお歌に学ぶ流罪の地での親鸞聖人のご布教

Posted on 26th 1月 2012 by はるき in 親鸞の布教

全国各地を寒波が押し寄せ、
雪での事故が相次いでいるそうです。

余裕をもった行動を心がけて、
車の運転は慎重にしたいと思います。

さて、今年も親鸞聖人のお歌を学んでいきたいと思います。

流罪の身をば 方便と
都に散りし 法の花
厳寒深雪の 越後路に
御法の春をぞ 迎いける

この親鸞聖人のお歌の大意は、

「越後流刑になったのも、かの地の人々に仏法を広めよ、
との阿弥陀仏のご方便」と受け止められ、
都を追放された親鸞聖人は、寒さ厳しく雪深い新潟の地で、
阿弥陀仏の本願を説き続けられました。
すると各地に法の花が咲き、越後は仏法の春を迎えたのです。

新潟県上越市が、親鸞聖人流罪の地でした。
流罪の地に立たれた親鸞聖人のご心中は
いかなるものだったのでしょうか。

御伝鈔に書かれています。

「そもそもまた大師聖人もし流刑に処せられたまわずば、
我また配所に赴かんや。もしわれ配所に赴かずんば、
何によりてか辺鄙の郡類を化せん。是れなお師教の恩致なり」

もし恩師・法然上人が流刑に遭われなかったならば、
親鸞もまた流罪になってこの地に来ることはなかった。

ここに来ることがなければ、どうして越後の皆さんに
阿弥陀仏の本願をお伝えすることができたであろうか。

これこそ、越後の人々に、本願をお伝えせよとの、
阿弥陀如来のご方便であり、法然上人より賜った勝縁である、

と親鸞聖人は喜ばれ、ひたすら布教に突き進まれるのでありました。

しかし、親鸞聖人のお立場は、”罪人”でありました。
越後の村人たちが、すぐに耳を傾けたとは思われません。
ところが、親鸞聖人は雪の中、次のように歌われています。

「この里に 親をなくした 子はなきか
 み法の風に なびく人なし」

“この越後にも、親鸞と同じように、
親と死に別れた人もあるだろうに。

聞き難い真実だなあ。
どうして親鸞は聞けたのか”と

流刑の苦難も、布教のご苦労も、
すべて喜びと転じ変わっておられるのです。

そして、一人また一人、
親鸞聖人のまかれた法の種によって真実求める人が増え、
越後はやがて、仏法の春が到来したのです。

寒さ厳しい日々の中で、
私たちもたゆまず真実の種を蒔き、
一人一人の胸に遇法、聞法の喜びの春を迎えられるよう、
精進したいと思います。

(つづく)

コメントは受け付けていません。

親鸞聖人はなぜ、非僧非俗と言われたのか

Posted on 8th 11月 2011 by はるき in 親鸞の御歌解説

11月に入り、紅葉がきれいになってきました。
月日が経つのは、はやいもの。

年賀状発売、年末商戦、せわしくて、
落ち着くヒマもないですね。

親鸞聖人のお歌を、心静かに我が身を
振り返るご縁にしたいと思います。

罪名藤井の善信と
仮名を立てて 聖人は
西仏蓮位を召し連れて
越路を指して 旅立ちぬ

35歳で時の権力者の迫害を受け、
流罪の身となられた親鸞聖人は、
藤井善信と名を変えられ、
西仏房と蓮位房の二人を召し連れて、
雪深い越後へと、旅立ってゆかれたのです。

権力者の無法な弾圧に、馬ふれれば馬を斬り、
人ふれれば人を斬る、
獅子奮迅の親鸞聖人の怒りはすさまじいものでした。

親鸞聖人の主著、
教行信証には激しい権力者批判が記されています。

「主上、臣下、法に背き義に違し忿を成し、怨を結ぶ。
これによりて、真宗興隆の太祖源空法師、
併に門徒数輩、罪科を考えず、猥しく死罪に坐す。
或は僧の儀を改め姓名を賜うて遠流に処す。
予は其の一なり。
爾れば、すでに僧に非ず俗に非ず、
是の故に禿の字を以て姓と為す。」

天皇も臣下もまことの大法に背き、正義に違い、
みだりに無法の忿を起こし、怨を結び、
遂に浄土真宗を興隆して下された法然上人を
始め門下の秀俊な人々に対して
罪科の如何を考えもせず、
ほしいままに死罪を行い、
又は僧侶の資格を剥奪して遠国に流したのだ。
迫害するのは権力の本性とはいいながら、
何という違法であろうか。

愚禿親鸞もその流刑に遭った一人である。
されば、かような擯罰を受けた上は、
もう僧でもなければ俗でもないから
破戒僧の異名といわれる
禿の字をもって自分の姓とした

親鸞聖人はここで、「非僧非俗」と
宣言されています。

非僧非俗、とは僧侶に非ず、
俗人に非ず、ということです。

僧侶に非ず、ということは、
権力によって承認されて葬式や法事を
専門にする僧侶ではない、ということです。

俗人に非ずとは、生活のために
職業をもっている在家の立場でもない、
との意味です。

えっ、親鸞聖人は僧侶でないの?
俗人でもないって、どういうこと?
と思われる方も多いと思います。

先月、朝日新聞の全面広告で
紹介されていた『親鸞聖人の花びら 桜の巻』という本に

「親鸞聖人はなぜ、非僧非俗と言われたのか」との
問いに対する答えが載っていました。
その一部を引用します。

――――――――――――――――――――――

 全生命を、真実の開顕のみに生涯を托された聖人の歩みには、僧籍もなし、寺院にも住まわれず、葬式、法事、墓番など、おおよそ、僧らしきことは何ひとつなされなかったので、僧に非ずと言われたのです。
「更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法を、われも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」
 聖人の日々は、ただ、弥陀の本願を正確に迅速に、一人でも多くにお届けする、献身的布教と著作活動のみに費やされ、世俗の職業につく暇がなかったので、俗にも非ずと言われたのでありましょう。
 まさに、非僧非俗で一生貫かれたのが親鸞聖人でありました。

――――――――――――――――――――――

親鸞聖人が尊敬されていた聖徳太子の
お言葉を思い出します。

『篤く三宝を敬え。三宝は仏・法・僧なり』
(十七条憲法)

ここで言われる「僧」とは正しい仏法を
伝える本当の僧で、
まさに親鸞聖人のような方を言われるに違いありません。

「非僧非俗」の宣言から伝わる
親鸞聖人のお気持ちに、
私たち親鸞学徒は奮起せずにはいられないのです。

コメントは受け付けていません。

親鸞聖人と法然上人の悲しい別れ

Posted on 17th 9月 2011 by はるき in 親鸞の御歌解説

9月も中頃となりましたが、
夏が舞い戻ってきたかのような
厳しい残暑が続いています。

親鸞聖人のお歌を続けて
学んでいきたいと思います。

「関白殿のはからいに
 遂に流罪と相定まり
 両聖人はあわれにも
 西と東にわかれけり」

権力者の弾圧は、法然上人、親鸞聖人にも
及びました。

親鸞聖人は、最初、死刑を宣告されましたが、
関白・九条兼実公の尽力によって、越後(新潟県)へ
流刑、となりました。

法然上人は、土佐(高知県)へ流罪となりました。
両聖人はあわれにも、西と東に、別れねばならなくなった
のです。

夜の吉水、法然上人のお部屋で、
号泣して別離を悲しまれる聖人の
お姿が……。

親鸞聖人
「お師匠さま。お師匠さま……。
 短い間ではございましたが、
 親鸞、多生の間にも、
 遇えぬ尊いご縁を頂きました。
 ありがとうございました……」

親鸞聖人は、肩を震わせ、額を畳に擦り付けて
泣き悲しまれます。

法然上人
「親鸞よ。そなたは越後か……。
 いずこに行こうと、ご縁のある方々に、
 弥陀の本願をお伝えしようぞ……。
 では達者でな……」

親鸞聖人はお師匠さま、法然上人をどれほど
尊敬されていたか。法然上人へのお気持ちを
次のように仰っています。

昿劫多生のあいだにも
出離の強縁知らざりき
本師源空いまさずは
このたび空しく過ぎなまし
(高僧和讃)

「苦しみの根元も、
 それを破る弥陀の誓願のあることも、
 果てしない遠い過去から知らなんだ。

 もし真の仏教の師に会えなかったら、
 人生の目的も、果たす道も知らぬまま、
 二度とないチャンスを失い、
 永遠に苦しんでいたにちがいない。

 親鸞、危ないところを法然(源空)上人に救われた」

続いて、歎異抄には

たとい法然聖人にすかされまいらせて、
念仏して地獄に堕ちたりとも、
さらに後悔すべからず候。
(歎異抄)

「たとえ法然上人に騙されて、
 念仏して地獄に堕ちても、
 親鸞なんの後悔もないのだ」

法然上人になら、だまされて地獄に堕ちても満足だ、
とまで仰っておられます。

私たちたちは、だまさないからその人を
信ずるのであって、
だます人を信じることはできません。

常識では考えられない信じ方であり、
親鸞聖人のこの御心は
弥陀に救われねば、
うかがい知れないと拝察します。

そんな法然上人との別れは、
親鸞聖人にとって、悲嘆の極みであったに違いありません。

親鸞聖人
「はい、お師匠さま……。
 お師匠さまは南国・土佐へ……。
 遠く離れて西・東。
 生きて再びお会いすることができましょうか。
 覚悟していたことではございますが、
 あまりにも……、あまりにも、
 早すぎます……。
 お師匠さまあー!!」

もっと法然上人から弥陀の本願をお聞きしたい、
もっともっと、おそばで教えていただきたい……。

その親鸞聖人の切なる願いがかなうことは
二度とありませんでした……。

つづく

コメントは受け付けていません。

親鸞聖人は権力者の弾圧にも屈されず真実を伝え抜かれた

Posted on 22nd 6月 2011 by はるき in 親鸞の御歌解説

今日は夏至。
全国的に真夏日が続いていますが、
体調管理にはより気をつけたいと思います。

早速、親鸞聖人のお歌を続けます。

「かの吉水の一流は
 時機相応の法なれば
 そねみのあらし ふきおこり
 35歳のおん時に」

「吉水の一流」とは阿弥陀仏の本願のこと。

「かの吉水の一流は」とは、
かの京都・吉水の法然上人の説かれた阿弥陀仏の本願の教えは、ということです。

「時機相応の法」とは、老人も若い人も善人も悪人もすべての人の救われる教え、ということです。

そのような教えを法然上人が説かれていたので、吉水の草庵にはいろいろな階層の人が参詣しました。

庶民や武士に加え、聖道諸宗(天台や真言、禅宗など)の学者や公家・貴族まで、法然上人の信奉者が急増しました。

親鸞聖人のように法然上人のお弟子となった人は380余人あったと言われています。

そんな吉水の繁盛ぶりをだまった見過ごすことができない者があったのです。
いつの時代もまさるをねたむ人の心は変わらぬもの。

急速な浄土宗の発展に恐れをなし、聖道諸宗は強い危機感を抱きました。
彼らを支えた公家・貴族までもが、法然上人の支持に回るのは到底、黙視できなかったからです。

続いて、こう歌われています。

「南北僧の 讒奏に
 評議は不利に おちいりて
 住蓮安楽 両人は
 第一死刑を おこなわる」

「南北僧」とは南都・北嶺の僧侶ということ。
奈良や比叡の聖道諸宗の者たちが権力者にありもしないことを、浄土宗をおとしめる目的で、訴えました。

その評議が続いている最中に、法然上人のお弟子、住蓮房、安楽房の二人にあらぬ嫌疑がかけられたのです。
宮中の女御をかどわかした、というのです。

評議は、たちまち不利となり、浄土宗へ、無法な弾圧が加えられました。

承元元年(1207)、ついに、浄土宗は解散、念仏布教は禁止、法然・親鸞両聖人以下8人が流刑。
住蓮・安楽ら4人の弟子は死刑に処せられました。

聖道諸宗と権力者の結託で、日本仏教史上かつてない弾圧でした。
世に「承元の法難」といわれ、『歎異抄』末尾にも記されています。

「五濁の時機いたりては
 道俗ともにあらそいて
 念仏信ずるひとをみて
 疑謗破滅さかりなり」
      (親鸞聖人・正像末和讃)

私たちを本当に救いたもう御仏は本師本仏の阿弥陀仏だけである、という「一向専念無量寿仏」を強調する人ほど、激しい疑謗破滅がやってくる、と親鸞聖人は仰っています。

この大法難は
親鸞聖人の時代だけのことではないのです。

弥陀の本願を聞信し、お伝えする
平成の親鸞学徒も、その覚悟が問われている、と拝さずにおれません。

(つづく)

コメントは受け付けていません。

一人一人が親鸞聖人と同じ“世界の光”に

Posted on 19th 5月 2011 by はるき in 親鸞の教え

親鸞聖人750回忌の今年は
テレビや新聞、ネットや書店でも
いたるところに聖人のお名前を見聞きします。

まさに親鸞聖人ブームです。

親鸞聖人が世界の光と仰がれるのは
なぜか。

多くの人から尊敬されている親鸞聖人の
そのたくましさとはどこから出ているのか。

そのことについて、
親鸞聖人のお歌を通して学んでまいりました。

「往生浄土の先達は
 破戒堕落の僧として
 受けし恥辱も御冥加と
 信心為本とまもり在す」

僧としてはじめて、公然と肉食妻帯を
なされた親鸞聖人を、当時の仏教界、
権力者、世間中が非難しました。

しかし、世間の非難をものともされぬ、この
たくましさは、どこから来るのでしょうか。

「破戒堕落の僧として
 受けし恥辱も御冥加と」と歌われているように、

親鸞聖人(往生浄土の先達)は
あらゆる非難攻撃を、仏さまのご冥加(お陰)と
受けとめておられました。

「如来大悲の恩徳は
 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も
 骨を砕きても謝すべし」
         (親鸞聖人・恩徳讃)

後生の一大事を解決して、永久の闇から
救ってくだされた阿弥陀仏のご恩と

その阿弥陀仏の本願を親鸞まで伝えてくだされた
善知識方の大恩は、身を粉に、骨を砕いても足りない。

微塵の報謝もならぬ懈怠なわが身に、
寝ても覚めても泣かされる。

知恩・感恩、聖人の熱火の法悦は
何から救われたのか、が明らかにならねば
想像もできないのではないでしょうか。

難病を治してもらった医者に
命を助けられたご恩は大変大きい。

しかし、親鸞聖人のように死んでも
そのご恩に報いずにいられない、
という気持ちにはならないでしょう。

この世、何十年の命が救われた、ということも
大変ですが、それとは比べものにならない
ご恩を知らされられた親鸞聖人。

「まことに、仏恩の深重なるを念じて、
 人倫の哢言を恥じず」
       (親鸞聖人・『教行信証』)

阿弥陀仏から受けし広大無辺なご恩を思えば、
親鸞、世間大衆の非難攻撃などものの数ではない。

「帰命無量寿如来
 南無不可思議光

 ~

 道俗時衆共同心
 唯可信斯高僧説」
        (親鸞聖人・正信偈)

親鸞、弥陀に救われた、親鸞、弥陀に助けられた。
この世で、生きている時に、弥陀に救われた、
ということがあるんだ。

すべての人よ、早く親鸞と共に同じ心になってくれ。
無上の幸せになってもらいたい。
まったく阿弥陀仏のお力であるから、
全ての人が親鸞と同じ心になれるのだ!
全世界を照らす光に、一人一人がなれるんだよ。

この弥陀の救い一つを明らかにせんと、
公然と肉食妻帯をなされた、と拝さずにおれません。

コメントは受け付けていません。

混迷の世に輝く親鸞聖人の教え

Posted on 7th 4月 2011 by はるき in 親鸞の御歌紹介

今年は親鸞聖人750回忌です。

親鸞聖人ってどんな方?
教えられたことは何だろう?

親鸞聖人に関心のある方が増えていることを感じます。

その時、
親鸞聖人90年、伝えられたみ教え、そのご苦労が
切々と歌いあげられている、この「親鸞聖人のお歌」を
是非、一人でも多くの方に知っていただきたいと
思います。

前回の続きをお話しします。

「往生浄土の先達は
 破戒堕落の僧として
 受けし恥辱も御冥加と
 信心為本とまもり在す」

「往生浄土の先達」とは、親鸞聖人のこと。

浄土往生への道案内を果たされた聖人に
ふさわしい言葉と言えるでしょう。

親鸞聖人は往生浄土の先達として、
何としても伝えたいことがある、
との御心で公然と肉食妻帯をなされました。

その聖人の深い御心が分からない大衆は、
お釈迦様の定められた戒律を破り、
堕落した僧だとして

「破戒僧」
「堕落坊主」

と非難をしました。

それらの恥辱を、親鸞聖人はすべてご冥加、
阿弥陀仏のご加護と仰がれたのです。

「これも仏さまのお陰だ。親鸞よ、
 御恩報謝が足らんぞ、と鞭あててくださっているのだ」

と喜ばれ、いよいよ、命がけで、
真実開顕に突き進まれました。

「信心為本とまもり在す」とは、
すべての人を、信心一つで助ける、
と誓われた阿弥陀仏の本願を明らかになされた、
ということです。

今、未曽有の大震災、原発の問題、それによる経済への打撃、
と先の見えない不安に世の中全体が包まれています。

一人一人の心の闇を照らす光こそ、親鸞聖人の教えではないでしょうか。

続けて親鸞聖人のお歌を学んでいきたいと思います。

コメントは受け付けていません。

親鸞聖人が結婚なされた本当の理由

Posted on 24th 12月 2010 by はるき in 未分類

師走も半ばを過ぎ、あっという間に今年も終わろうと
しています。

昨日、読売新聞で読者が選ぶ2010年の日本10大ニュースが
紹介されていました。

今年一番、関心があったニュースの第1位は「尖閣諸島問題」でした。
皆さんの心に残った出来事は何だったでしょうか……。

早速、親鸞聖人のお歌を
一緒に学びたいと思います。

「三十一の御歳(おんとし)に
 師匠のすすめに従われ
 兼実公(かねざねこう)の玉姫(たまひめ)を
 請(う)けて在家の身とぞなる」

親鸞聖人は31才で先生である法然上人の
すすめに従われ、時の関白・九条兼実公の娘、
玉日姫(たまひひめ)と結婚されました。

親鸞聖人は公然と「肉食妻帯」をなされました。

「肉食」とは魚や獣の肉を食べること、
「妻帯」は結婚することです。

 当時、天台宗や真言宗などの聖道門といわれる仏教では、
肉食妻帯は固く禁じられていました。

 厳しい戒律を守って修行に打ち込み、
欲・怒り・愚痴の煩悩と闘って、
さとりを得ようとするのが、
これらの教えだからです。

 僧侶が公然と肉食妻帯することは、
仏教界だけでなく、世間でも大問題でした。

 かくして親鸞聖人には、
「破戒僧」
「堕落坊主」
「仏教を破壊する悪魔」
「仏敵」
「色坊主」
などの、聞くに堪えない悪口雑言が嵐のように浴びせられ、
世間中のあらゆる非難を一身に受けられることとなったのです。

 このような親鸞聖人の言動を見て、
“己に素直に生きられた方”といったイメージを持っている人は
少なくないようです。

しかしこれは、己の欲望のままになされた行動ではありません。

 非難を覚悟の上で、あえて公然と肉食妻帯をなされたのです。

聖人はおっしゃいます。

「僧侶も、在家の人も、男も女も、ありのままで等しく救いたもうのが
阿弥陀如来の本願。その真実の仏教を今こそ明らかにせねばならぬのだ。

阿弥陀如来の広大なご恩徳を思えば、どんな非難も、物の数ではない」と。

私たちのありのままの姿とは、
どんな姿なのでしょうか。

親鸞聖人は私たち人間の本当の姿を明らかにして
くださいました。

親鸞聖人のお歌を通じ、続けてお話ししたいと思います。

つづく

コメントは受け付けていません。

「袖触れ合うも多生の縁」

Posted on 9th 8月 2010 by はるき in 親鸞の教え

猛暑が続いています。

8月に入ってからの熱中症とみられる死者は、
読売新聞によると、判明しただけで28人(7日時点)に
なったそうです。

皆さん、熱中症への備えをされ、
体調管理にくれぐれも気をつけてください……。

今日も、親鸞聖人のお歌から学びたいと思います。

「力を尽し御房(おんぼう)は
 本願他力を説きたまう

 聖人たちまち直入(じきにゅう)の
 真心決定(しんじんけつじょう)ましませり」

 親鸞聖人は、旧友であった聖覚法印に連れられて、
法然上人の吉水の草庵に向かわれました。

そして、法然上人から真実の仏教を聞かれ、
阿弥陀仏の本願に救い摂られられたのです。

聖人29才の御時のことでした。

 親鸞聖人はその時の喜びを
教行信証の始めにこう叫んでおられます。

「噫(ああ)、弘誓(ぐぜい)の強縁(ごうえん)は
 多生にも値(もうあ)い難し」

「噫」とは言葉にならない喜び、驚きを
「ああ」と仰っています。

 電車の中でバッタリと中学生時代の友達と会ったら皆さん、
何て言いますか?

「ああ!」

と言った後に、

「○○君やないか。久しぶり!」

となるのでは、と思います。

ビックリしたら、言葉にならない言葉が先に出ることが
ありますよね。
日常生活の中で想像してみてください。

実は、親鸞聖人の「噫」は、20年ぶりに友達に会うぐらいでは
ないのです。

多生にもあえないことに親鸞、今あえた!という
喜びと驚きの言葉にならぬ言葉、なのです。

「多生」とはどういうことでしょうか。

 私たちは今、人間に生を受けていますが、
人間に生まれるまでに数え切れないほどの生死を
繰り返してきた、と仏教では教えられています。

「袖触れ合うも多生の縁」と言われます。

例えば、電車である人と袖が触れ合うということは、
実は、その人との因縁は人間として生を受けてからだけ
ではない、ということです。

 気の遠くなるような、
遠い遠い過去世からの因縁がなければ、あり得ない
ことなのです。

 考えてみれば地球上に67億の人がいるとして、
一生涯何人の人と袖が触れ合うでしょうか。

 そんなこと考えたことない……、
と思われるかもしれません。

 その時間に、その場所にあなたと、
袖が触れるまである人と近づく、ということは
よほど、その人と深い因縁があったに違いありません。

 その原因の根は私の想像も及ばないほど深い深いもの
である、ということなのです。

 一生、いや、ずーっと会うことも、
知り合いになることもない人がほとんどです。
その中で、その人と袖が触れ合うまで近づくのですから。

 そう思えば、そんな全人類の中から一人の女性と男性が
結婚して夫婦になる、ということは有り難いことなんだなぁと
知らされませんか?

 いやあ、たまたまだよ。何かご縁があったんだよね。
と思われるかもしれませんが、その「何か」がとてつもなく、
深いのです!

 仏法を知れば知るほど、夫は妻を、妻は夫をとても懐かしく、
感じられ、優しい気持ちでお互い接することができるのでは、
と思います……。

 親鸞聖人はこの教行信証のお言葉で
多生の間、求めても求めても値(あ)えないことに
親鸞、今値えた!という喜びを仰っているのです。

つづく

コメントは受け付けていません。

「あなたはこの魂の解決、どうなさいましたか」

Posted on 16th 7月 2010 by はるき in 親鸞の教え

 いよいよ梅雨入りです。じめじめした天気が続きますが、
続けて、親鸞聖人のお歌を通して学びたいと思います。

「力を尽し御房(おんぼう)は
 本願他力を説きたまう

 聖人たちまち直入(じきにゅう)の
 真心決定(しんじんけつじょう)ましませり」

 20年間修行なされた比叡の山を捨てられ、
一大事の後生に苦しみ悩まれた親鸞聖人は
京の町を夢遊病者のようにさまよい歩いて
おられました。

 その時、京都の四条大橋で、旧友・聖覚法印に
出会われたのです。

聖覚法印
「おや、親鸞殿ではござらぬか」

親鸞聖人
「おお、あなたは、聖覚法印さまでは……」

聖覚法印
「やっぱり親鸞殿であったか。いやー久しぶりですなあ」

親鸞聖人
「あなたが山を下りられたことは聞いてはおりましたが、
 お元気そうでなによりです」

聖覚法印
「ありがとうございます。
 親鸞殿、少々お顔の色がすぐれられないようだが」

親鸞聖人
「はい。聖覚殿。肉体はどこも悪くはありませんが、
 親鸞、心の病気で苦しんでおります。
 聖覚殿、あなたはこの魂の解決、どうなさいましたか」

 ここで、親鸞聖人が苦しんでおられた「心の病気」
とはどんなものか。よく知っていただきたいと思います。

 これは親鸞聖人のみ教えを最も正確に、
多くの方に伝えられた蓮如上人が

「無明業障(むみょうごうしょう)の
 おそろしき病」

と仰っている心の病です。

 この病は親鸞聖人だけではなく、
精神科の医師も含め、全人類がかかっている、
恐ろしい病なのです。

 えーっ、私はそんな病気にかかっているの?
と驚かれるかもしれませんが、続けてお話しします。

 この病のことを「後生暗い心」とも言われます。

「後生」とは死んだ後、ということ。
「暗い」とは蛍光灯などが消えて部屋が暗い、
という暗いではなく、
「分からない」「ハッキリしない」ということです。

 インターネット、ケータイに暗い、とか聞きますよね。
その「暗い」はインターネット、ケータイのことはよく分からない、
という意味で使われているのです。

 ですから、「後生暗い心」とは死んだ後、
どうなるか分からない心、ということ。

 死んだ後は有るのか、無いのか、
 有るとしたらどうなっているのか、
 サッパリ分からない心を
「後生暗い心」と言われるのです。

 死ねば人間はどうなるのでしょう。
死んだら死んだ時さ、と思えるでしょうか。

 老後の心配をしている人もあると思います。
年金はもらえるのだろうか、生活できるのだろうか。
介護してもらうとなると大変だ。

 私を含め、人の行く道ですから、心配したり、悩んだり、
準備したりしている人が多いのでは、と思います。

 いや、もう少し近い将来の心配で
めいっぱい、という人もあると思います。

こういう投稿が新聞にありました。

「新婚夫婦です。生活費のほかに、
 将来の蓄えも必要になると思いますが、
 何から始めればよいのですか」(『読売新聞』)

 この投稿に対して、ファイナンシャルプランナーが
将来のライフプラン(子供、車、マイホー等ム)を考えて、
預金を始めることを勧めます、と回答していました。

 人は誰も、自分の未来どうなるか、心配し、
何か準備しようという気持ちが常にあるのでしょう。
私ももちろんそうです。

 しかし、結婚後の生活、老後のない人はあっても、
死後のない人はないのではないでしょうか。

 今晩死ねば、
誰もが今晩から後生に入っていかねばなりません。

 14日埼玉県で歯治療中の2歳の女の子が、
止血用の脱脂綿を気管に詰まらせ、亡くなっています。

自宅で転んで前歯を損傷したことがきっかけで、
その日のうちに後生へと旅立ってしまうとは……。

 歯科へ連れて行ったその母はとてもその現実を
受け入れられないのではないでしょうか。

「この子はどこへ行ってしまったの?」

心の叫びが聞こえるようです。

 死ねば何もなくなってしまうと心から
思えるでしょうか。

「そんなこと考えたって仕方ないよ。
 死んだら死んだ時さ。

 死ぬことばかり考えていたら
 楽しく生きられないよ」

というムキもあるかも知れません。

 それは真面目な人生観と言えるでしょうか。

 死ねばどうなるか分からない、真っ暗な心に
泣かれた親鸞聖人。私たちも臨終にその真っ暗な心に
泣く時が来るかもしれません。

 その解決が今できるとしたら、どうすれば。

「あなたはこの魂の解決、どうなさいましたか」

 親鸞聖人が聖覚法印に発せられたこの問いは、
私たちの心の底からの問いでもあると思うのです。

「無明業障のおそろしき病」について、
続けてお話ししたいと思います。

コメントは受け付けていません。

親鸞聖人、夢告から10年。29歳で解けたナゾ

Posted on 27th 5月 2010 by はるき in 親鸞の教え

 一日一日が矢のように過ぎていく今日この頃です。
その矢はいったい、どこに向かって飛んでいるのかなぁと、
忙しいと飛び回っている自分を反省します……。

親鸞聖人のお歌に戻ります。

「六角堂の観音へ 深夜の祈願遂げたまい
 四句の御告(みつげ)と吉水の 法然房を示さるる」

 29歳の時、求道に精も根も尽き果てた親鸞聖人は、
20年間の天台宗の法華経の教えに絶望され、ついに下山を決意されました。

 山を捨てられた親鸞聖人は、後生の一大事の解決一つを求めて、
京都の六角堂の救世観音(ぐぜかんのん)に、百日の祈願をなされたのです。

 六角堂とは、聖徳太子の建立されたもの。

『十年の命』、との聖徳太子の夢告からちょうど10年。

激しい無常と罪悪に責め立てられ、親鸞聖人の求道は決死でありました。

 10年前、聖徳太子の

「そなたの命は、あと、十年なるぞ」

という予告は何を意味していたのでしょうか。

 次のお歌の

「力を尽し御房(おんぼう)は 本願他力を説きたまう
 聖人たちまち直入(じきにゅう)の 真心決定(しんじんけつじょう)ましませり」

のとおり、親鸞聖人は聖徳太子の夢告からちょうど10年後に、
法然上人にお遇いし、真実の仏教、阿弥陀仏の本願を聞かれるようになりました。

そしてその阿弥陀仏の本願によって救い摂られ(真心決定なされ)ました。

親鸞聖人は阿弥陀仏に救い摂られた時に一度死んだ、と仰っています。

それは『愚禿鈔(ぐとくしょう)』という親鸞聖人の著書に、こう書かれています。

「本願を信受(しんじゅ)するは 前念命終(ぜんねんみょうじゅう)なり、
 即得往生(そくとくおうじょう)は後念即生(ごねんそくしょう)なり」(愚禿鈔)

 本願を信受するは、とは阿弥陀仏の本願、お誓いどおりの身に救われて、絶対の幸福になったことを言います。
「前念命終」の前念とは迷いの心のこと。迷いの命が死んだ、と仰っています。

 即得往生とは、即ち往生を得る、ということ。即ちとは「一念」のことです。

「一念とはこれ信楽開発(しんぎょうかいほつ)の時尅(じこく)の極促(ごくそく)をあらわす」
(教行信証)

と仰っていますように、弥陀に救われる極めて速い時間を「一念」と言います。
何百兆分の一秒よりも速い時間です。
往生を得るとは救われるということ。
後念即生とは、明るい心が生まれるということです。
阿弥陀仏から南無阿弥陀仏を賜るということです。

阿弥陀仏に救われた一念で、後生暗い心が死に、後生明るい心が生まれる。
親鸞聖人はこのように、弥陀に救われた時は「心の、臨終と誕生の同時体験」させられる時である、と言われているのです。

 聖徳太子が夢告で「十年余りで死ぬ」とおっしゃったのは、肉体でなく、迷いの心であった、と親鸞聖人は弥陀に救われてハッキリ知らされられたのです。

コメントは受け付けていません。