親鸞聖人のお歌の心を読み解くサイト

混迷の世に輝く親鸞聖人の教え

Posted on 7th 4月 2011 by はるき in 親鸞の御歌紹介

今年は親鸞聖人750回忌です。

親鸞聖人ってどんな方?
教えられたことは何だろう?

親鸞聖人に関心のある方が増えていることを感じます。

その時、
親鸞聖人90年、伝えられたみ教え、そのご苦労が
切々と歌いあげられている、この「親鸞聖人のお歌」を
是非、一人でも多くの方に知っていただきたいと
思います。

前回の続きをお話しします。

「往生浄土の先達は
 破戒堕落の僧として
 受けし恥辱も御冥加と
 信心為本とまもり在す」

「往生浄土の先達」とは、親鸞聖人のこと。

浄土往生への道案内を果たされた聖人に
ふさわしい言葉と言えるでしょう。

親鸞聖人は往生浄土の先達として、
何としても伝えたいことがある、
との御心で公然と肉食妻帯をなされました。

その聖人の深い御心が分からない大衆は、
お釈迦様の定められた戒律を破り、
堕落した僧だとして

「破戒僧」
「堕落坊主」

と非難をしました。

それらの恥辱を、親鸞聖人はすべてご冥加、
阿弥陀仏のご加護と仰がれたのです。

「これも仏さまのお陰だ。親鸞よ、
 御恩報謝が足らんぞ、と鞭あててくださっているのだ」

と喜ばれ、いよいよ、命がけで、
真実開顕に突き進まれました。

「信心為本とまもり在す」とは、
すべての人を、信心一つで助ける、
と誓われた阿弥陀仏の本願を明らかになされた、
ということです。

今、未曽有の大震災、原発の問題、それによる経済への打撃、
と先の見えない不安に世の中全体が包まれています。

一人一人の心の闇を照らす光こそ、親鸞聖人の教えではないでしょうか。

続けて親鸞聖人のお歌を学んでいきたいと思います。

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比叡山で修行に励む親鸞聖人

Posted on 20th 6月 2009 by はるき in 親鸞の御歌紹介, 親鸞の御歌解説, 親鸞の生涯, 親鸞の苦悩

大曼行(だいまんぎょう)の 難行(なんぎょう)は
事(こと)なく成(な)され 給(たま)いしも
吾等凡夫(われらぼんぶ)の さとりには
叶(かな)わぬものと 百日(ひゃくにち)の

六角堂(ろっかくどう)の 観音(かんのん)へ
深夜(しんや)の祈願(きがん) 遂(と)げたまい
四句(しく)の御告(みつげ)と 吉水(よしみず)の
法然房(ほうねんぼう)を 示(しめ)さるる

(※浄土真宗親鸞会発行の正信聖典P.69~70参照)

大意
大曼行の難行も、親鸞聖人は完全に遂行なされたが、とても我々凡夫の助かる道ではないと、救いを求めて、六角堂の観音へ100日間、深夜の祈願を決行された。
救世観音は、四句の夢告と、京都・吉水の法然上人を示されたのであった。

浄土真宗のお経と言えば、大無量寿経、阿弥陀経、観無量寿経の浄土三部経ですが、天台宗は、お釈迦様の説かれた『法華経』の教えに従い、戒律を守り、煩悩と戦って悟りを得ようとする教えです。その修行は、峻烈を極め、まさに命懸けの難行でありました。

仏教の目的は、仏のさとりを得ることですが、天台宗では、
「私たちの本性は、清らかな仏性である。それが煩悩のさびによって曇っているから、修行によってそのさびを落とし、仏性を磨き出すことに全力を挙げよ」
と教えられます。

例えるなら、私たちは心の中にダイヤモンドのような素晴らしいものを持っている。それが煩悩というゴミやホコリがついて見えなくなっており、それで輝いていないのだ。
その煩悩の汚れやさびを、修行により磨いていけば、ピカピカに輝きわたる時が来る、という考えです。
磨く方法こそ異なれ、いずれの宗派も根底はこれしかありません。

煩悩とは、「煩い、悩む」と書くように、私たちを日夜、煩わせ悩ませるもので、全部で108あると教えられます。
大晦日に108回突く除夜の鐘も、ここからきています。
来年こそは、煩悩に煩わされないように、との願いが込められているのでしょう。

108の煩悩の中でも、特に恐ろしいものが3つあり、「三毒の煩悩」といわれます。
三毒とは、貪欲(とんよく:欲の心)、瞋恚(しんい:怒りの心)、愚痴(ぐち:ウラミ、ネタミの心)の3つです。

親鸞聖人の、比叡の山での日々は、まさしくこの煩悩との壮絶な格闘であったのです。

三毒の煩悩とは何かについては、次回にしたいと思います。

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親鸞聖人と磯長の夢告

Posted on 7th 6月 2009 by はるき in 親鸞の御歌紹介, 親鸞の御歌解説, 親鸞の生涯

話が前後しますが、今回は磯長の夢告についてお話したいと思います。

親鸞聖人が19歳の御時でした。
求道に行き詰まられた親鸞聖人は、かねて崇敬なされていた聖徳太子のご廟へ行かれ、生死の一大事の救われる道を尋ねられたことがありました。
この時は13日より15日までの3日間こもられたのですが、その間の模様を親鸞聖人自ら次のように書き残しておられます。

夢に如意輪観音が現れて、五葉の松を母に授けて私の出生を予告したという、かつて母から聞かされていた話を私は思い出し、観音の垂述である聖徳太子のお導きによって、この魂の解決を求めて太子ゆかりの磯長のご廟へ参詣した。

三日間、一心不乱に生死出離の道を祈り念じて、ついに失神してしまった。
その第二夜の十四日、四更(午前二時)ごろ、夢のように幻のように自ら石の戸を開いて聖徳太子が現れ、廟窟の中は明々と光明に輝いて、驚いた。

その時、親鸞聖人に告げられた太子のお言葉を、次のように記されています。

「我が三尊は塵沙界を化す。日域は大乗相応の地なり。
諦らかに聴け、諦らかに聴け、我が教令を。
汝が命根は、まさに十余歳なるべし。
命終りて速やかに清浄土に入らん。
善く信ぜよ、善く信ぜよ、真の菩薩を。
時に、建久二年九月十五日、午時初刻、前の夜(14日)の告令を記し終わった。仏弟子 範宴」

範宴(はんねん)とは若き日の親鸞聖人のことです。
この時、親鸞聖人に告げられた太子のお言葉の意味は、

「わが弥陀と観音、勢至の三尊は、この塵のような悪世を救わんと全力を尽くしておられる。
日本国は真実の仏法の栄えるにふさわしい土地である。よく聴け、よく聴け、耳を澄まして私の教えを。
おまえの命は、あと十年余りしかないだろう。
その命が終わる時、おまえは速やかに浄らかなところへ入っていくであろう。
だからおまえは、今こそ本当の菩薩を深く信じなさい。心から信じなさい」

ということでありました。

聖徳太子のご廟は、大阪府石川郡東条磯長(現・太子町)にありますので、これを磯長の夢告といわれています。
このときの親鸞聖人には、夢告が何を意味するのか、まったくわからなかったのですが、これが後に知らされようとは、知る由もない親鸞聖人でありました。

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親鸞聖人出家の動機

Posted on 27th 5月 2009 by はるき in 親鸞の仏門への思い, 親鸞の御歌紹介, 親鸞の御歌解説

親鸞聖人が9歳で、仏門に入られたことを知る人は多いですが、その目的を誤解されている方も少なくないようです。
この親鸞聖人のご出家について、「乱世を生き抜く生活のためであった」と思われている節もありますが、それは大変な誤解です。

確かに、当時、武士が政権を握り、乱世にあって貴族たちはその力を失いつつありました。
平安も中期になると、貴族の次男三男など家を継げない者は、世の中を渡るため、また出世の手段の一つとして位の高い寺院に出家をし、朝廷もまたこれを取り立て、僧としての高い位を与えるということが、一般化していたようです。

そのため、ご両親を亡くされた親鸞聖人が、9歳で出家されたのも、処世のためと思うのも無理からぬことですが、それはまったくの誤解なのです。

幼くしてご両親を亡くされた親鸞聖人は、無常を縁とされ、

「次に死ぬのは自分の番だ。死ねばどうなるのだろうか」

と真っ暗な、わが身の後生に驚かれました。

親鸞聖人が出家に際し、慈鎮和尚に手渡した一首の歌は、親鸞聖人の出家の決意を表わしたものと言えるでしょう。

「明日ありと 思う心の あだ桜
夜半に嵐の
吹かぬものかは」

「今を盛りと咲く花も、一陣の嵐で散ってしまいます。人の命は、桜の花よりもはかなきものと聞いております。明日と言わず、どうか今日、得度していただけないでしょうか」

一日生きたということは、間違いなく一日死に近づいたということです。
それは、止めることも、後戻りもできません。

時計の針は、残された時を刻み、人は死への階を滑り落ちていきます。
こうしている間にも、一息切れれば、永久に戻らぬ後生です。

後生は、万人の100パーセント確実な未来。
しかし「今、死んだら」と、真剣に問い詰めると、お先真っ暗な気持ちになるのではないでしょうか。

幼き親鸞聖人が驚かれたのは、このことでした。

「人の命は、桜の花よりもはかなきものと聞いております。明日と言わず、どうか今日、得度していただけないでしょうか」

刻々と迫る無常に驚き、「今、死んだら」と思うと真っ暗になる心の解決一つを求め、仏門に入られた親鸞聖人が、先の歌からも彷彿とします。

親鸞聖人の出家は、この後生暗い心の解決を求めるほかに、目的はありませんでした。
同時にそれは、すべての人が仏法を求める唯一の目的でもあるということを、知っていただきたいと思います。

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親鸞聖人9歳で出家

祖師聖人(そししょうにん)は 九歳(くさい)にて
慈鎮和尚(じちんかしょう)の 門(もん)にいり
出家得度(しゅっけとくど) ましまして
比叡(ひえい)の山(やま)の 二十年(にじゅうねん)

(※浄土真宗親鸞会発行の正信聖典P.68~69参照)

大意
親鸞聖人は、9歳で出家され、慈鎮和尚の門に入られました。比叡山で20年間、天台宗の修行に打ち込まれたのです。

前回も紹介しましたが、親鸞聖人は、承安3年(1173年)、京都日野の里に、父君、藤原有範卿、母君、吉光御前のもと、お生まれになりました。
親鸞聖人のご幼名を松若丸と言われました。

親鸞聖人が4歳のとき、父君、有範卿が亡くなり、以後、杖とも柱ともたのみとしておられた母君もまた8歳のときに亡くなられたのです。あわれ、頼りなき孤独の身となられた親鸞聖人は、しみじみと人の世の無常を感じられたのでありました。

時は平安末期、諸国に源氏が兵を挙げ、近くは木曽義仲が大軍を率いて都へ攻め上るなどと、情報が飛び交っていました。
栄耀栄華を誇った平家一門も、平清盛が急逝した後、没落の一途をたどります。
養和元年(1181年)、9歳の春、親鸞聖人は決然と出家得度(しゅっけとくど)の意を固められ、伯父君、範網(のりつな)卿に手をひかれ、東山の青蓮院を訪ねられました。青蓮院は叡山62代の座主、親鸞聖人の遠縁にあたる慈鎮和尚(じちんかしょう)の寺です。

親鸞聖人の姿を拝見した慈鎮和尚は、さてもこの児には非凡の相が備わっているぞと、満面笑みをふくまれて、
「わずか、9歳で出家を志すとは尊いことじゃ。だが、今日は日も暮れかけた。明日、得度の式をあげよう」
と言う。付き添いの範綱卿に、異存のあるはずがありません。

ところが、親鸞聖人すっと立ちあがり、筆と筆を執られ、一首の歌をサラサラと書き付けられました。

明日ありと 思う心の 仇桜(あだざくら)
夜半に嵐の 吹かぬものかわ

生死無常は娑婆のありさま、有為転変は浮世の習い、今を盛りと咲く花も、夜半の嵐で散ってしまう。人の命は桜の花よりもはかなきもの。明日と言わず、どうか今日、得度の式を挙げて頂きたい、との心を詠まれた親鸞聖人のお歌です。

「そこまで、そなたは無常を感じておられるのか」
慈鎮和尚は、大いに感嘆し、早速、得度の儀式をとり行ったと言います。
かくて、その夜のうちに黒髪を剃り落とし、得度の式を終えたのでした。

親鸞聖人は、麻の法衣に麻の袈裟、お名前も範宴(はんねん)と改められ(親鸞というお名前は、35歳の流罪以後)、比叡山に入り天台宗の僧侶となられたのでした。

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親鸞聖人のご苦労を偲ぶ

Posted on 11th 5月 2009 by はるき in 親鸞の御歌紹介, 親鸞の御歌解説, 親鸞の生涯

おそれおおくも いまここに
見真大師(けんしんだいし)が 真宗(しんしゅう)を
開(ひら)きたまいし 御苦労(ごくろう)を
のべて御恩(ごおん)を よろこばん

(※浄土真宗親鸞会発行の正信聖典P.68参照)

大意
まことにおそれおおいことながら、親鸞聖人が浄土真宗を開かれました九十年のご苦労を歌にしたため、ご恩徳を喜ばせて頂きましょう。
※見真大師とは、親鸞聖人のことです。

「『燕雀(えんじゃく)、安(いずく)んぞ大鵬(たいほう)の志を知らんや』『猫は虎の心を知らず』。親鸞さまの大御心(おおみこころ)など分かろうはずのない私が、聖人のご一生をあれこれ歌に表すのは、あまりにも危険の多いこと。しかし、書かずにはおれないのです。恐れの多いことは百も承知の上で、若輩ながらここに記させていただきます」
作者のやむにやまれぬ述懐が冒頭の言葉から伝わってきます。

親鸞聖人がお生まれになられたのは、承安3年(1173年)、平安時代後期に入ってのことでした。
その頃の日本は、保元の乱(1156年)、平治の乱(1159年)で武力が台頭するようになり、京都の町は焼かれ、混乱を極めていました。
その真っ只中に、親鸞聖人は生を受けられたのです。

親鸞聖人がお生まれになったのは、京都・日野の里。
父君は藤原有範(ふじわらありのり)卿。母君は吉光御前(きっこうごぜん)といわれます。親鸞聖人のご幼名は、松若丸(まつわかまる)といいました。
親鸞聖人が4歳のとき、父君・藤原有範卿が亡くなり、親鸞聖人が8歳になられた時に、母君も亡くなられました。

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親鸞聖人のお歌

Posted on 24th 4月 2009 by はるき in 親鸞の御歌紹介

今に伝わる親鸞聖人のご一生を歌に表わした作品から、親鸞聖人の生涯を学んでみましょう。

親鸞聖人の御歌

おそれおおくも いまここに
見真大師(けんしんだいし)が 真宗(しんしゅう)を
開(ひら)きたまいし 御苦労(ごくろう)を
のべて御恩(ごおん)を よろこばん

祖師聖人(そししょうにん)は 九歳(くさい)にて
慈鎮和尚(じちんかしょう)の 門(もん)にいり
出家得度(しゅっけとくど) ましまして
比叡(ひえい)の山(やま)の 二十年(にじゅうねん)

大曼行(だいまんぎょう)の 難行(なんぎょう)は
事(こと)なく成(な)され 給(たま)いしも
吾等凡夫(われらぼんぶ)の さとりには
叶(かな)わぬものと 百日(ひゃくにち)の

六角堂(ろっかくどう)の 観音(かんのん)へ
深夜(しんや)の祈願(きがん) 遂(と)げたまい
四句(しく)の御告(みつげ)と 吉水(よしみず)の
法然房(ほうねんぼう)を 示(しめ)さるる

力(ちから)を尽(つく)し 御房(おんぼう)は
本願他力(ほんがんたりき)を 説(と)きたまう
聖人(しょうにん)たちまち 直入(じきにゅう)の
真心決定(しんじんけつじょう) ましませり

三十一(さんじゅういち)の 御歳(おんとし)に
師匠(ししょう)のすすめに 従(したが)われ
兼実公(かねざねこう)の 玉姫(たまひめ)を
請(う)けて在家(ざいけ)の 身(み)とぞなる

往生浄土(おうじょうじょうど)の 先達(せんだつ)は
破戒堕落(はかいだらく)の 僧(そう)として
受(う)けし恥辱(ちじょく)も 御冥加(ごみょうが)と
信心為本(しんじんいほん)と まもり在(ま)す

かの吉水(よしみず)の 一流(いちりゅう)は
時機相応(じきそうおう)の 法(ほう)なれば
そねみのあらし ふきおこり
三十五歳(さんじゅうごさい)の おん時(とき)に

南北僧(なんぼくそう)の 讒奏(ざんそう)に
評議(ひょうぎ)は不利(ふり)に おちいりて
住蓮安楽(じゅうれんあんらく) 両人(りょうにん)は
第一死刑(だいいちしけい)を おこなわる

関白殿(かんぱくどの)の はからいに
遂(つい)に流罪(るざい)と 相定(あいき)まり
両聖人(りょうしょうにん)は あわれにも
西(にし)と東(ひがし)に わかれけり

罪名藤井(ざいめいふじい)の 善信(よしざね)と
仮名(かりな)を立(た)てて 聖人(しょうにん)は
西仏蓮位(さいぶつれんい)を 召(め)し連(つ)れて
越路(こしじ)を指(さ)して 旅立(たびだ)ちぬ

流罪(るざい)の身(み)をば 方便(ほうべん)と
都(みやこ)に散(ち)りし 法(のり)の花(はな)
厳寒深雪(げんかんみゆき)の 越後路(えちごじ)に
御法(みのり)の春(はる)をぞ 迎(むか)いける

建暦二年(けんりゃくにねん) 免(ゆる)されて
配処(はいしょ)の五年(ごねん) 夢(ゆめ)の跡(あと)
名残(なごり)惜(お)しまれ 昨日今日(きのうきょう)
帰洛(きらく)の旅(たび)の 身(み)の軽(かる)さ

無常(むじょう)の風(かぜ)は 惨(いた)ましく
恩師(おんし)の死去(しきょ)は 聖人(しょうにん)の
衣(ころも)の袖(そで)に 便(たよ)り来(き)て
こころを傷(いた)め きずつきぬ

悲(かな)しきかなや 愚禿鸞(ぐとくらん)
きびすを返(かえ)し 常陸(ひだち)へと
すすまぬ御足(みあし) 運(はこ)ばれて
稲田(いなだ)の草庵(くさや)の 仮住居(かりずまい)

板敷山(いたじきやま)の 弁円(べんねん)は
如来大悲(にょらいだいひ)の 恩(おん)をしり
御同朋(おんどうぼう)と さとされて
今(いま)はかしずく 語(かた)り草(ぐさ)

我真宗(わがしんしゅう)の 組織(くみたて)は
この時(とき)ここが まことぞと
教行信証(きょうぎょうしんしょう) 六巻(ろっかん)に
真意(しんい)を開(ひら)き 著(あら)わさる

御同行(おんどうぎょう)は いや増(ま)して
仏(ほとけ)の御心(みこころ) 報(ほう)ぜんと
二十四輩(にじゅうよはい)は 関東(かんとう)の
御法(みのり)の華(はな)と さき副(そ)えり

還暦(かんれき)すぎて なつかしき
京都(きょうと)にかえり 聖人(しょうにん)は
著作(ちょさく)の業(わざ)を はげまれて
こころをくだく 三十年(さんじゅうねん)

弘長二年(こうちょうにねん) 霜月(しもづき)
下旬八日(げじゅんようか)の 午(うま)の刻(こく)
老聖人(ろうしょうにん)は かなしくも
如来(にょらい)の御国(みくに)へ おもむかる

妙花(みょうか)降(くだ)りて 愁(うれい)あり
紫雲(しうん)たなびき 風薫(かぜかお)り
万有(ばんゆう)闇(くら)し 大聖(だいせい)の
別(わか)れぞ惜(お)しむ しるしあり

祖師(そし)は紙衣(かみこ)の 九十年(くじゅうねん)
その徳音(とくいん)は 今日(きょう)までも
実語(じつご)は胸(むね)に 伝(つた)わりて
慈悲(じひ)の御教(みお)え いまぞ知(し)る

厳(きび)しく伝(つた)う 遺訓(ゆいくん)に
宗義(しゅうぎ)ますます 親(した)しまる
報謝(ほうしゃ)のまこと 真影(しんえい)の
みまえに伏して 誓(ちか)うなり

※親鸞聖人の御歌は、浄土真宗親鸞会発行の正信聖典(P.68~)に掲載されています。

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