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親鸞聖人出家の動機

Posted on 27th 5月 2009 by はるき in 親鸞の仏門への思い, 親鸞の御歌紹介, 親鸞の御歌解説

親鸞聖人が9歳で、仏門に入られたことを知る人は多いですが、その目的を誤解されている方も少なくないようです。
この親鸞聖人のご出家について、「乱世を生き抜く生活のためであった」と思われている節もありますが、それは大変な誤解です。

確かに、当時、武士が政権を握り、乱世にあって貴族たちはその力を失いつつありました。
平安も中期になると、貴族の次男三男など家を継げない者は、世の中を渡るため、また出世の手段の一つとして位の高い寺院に出家をし、朝廷もまたこれを取り立て、僧としての高い位を与えるということが、一般化していたようです。

そのため、ご両親を亡くされた親鸞聖人が、9歳で出家されたのも、処世のためと思うのも無理からぬことですが、それはまったくの誤解なのです。

幼くしてご両親を亡くされた親鸞聖人は、無常を縁とされ、

「次に死ぬのは自分の番だ。死ねばどうなるのだろうか」

と真っ暗な、わが身の後生に驚かれました。

親鸞聖人が出家に際し、慈鎮和尚に手渡した一首の歌は、親鸞聖人の出家の決意を表わしたものと言えるでしょう。

「明日ありと 思う心の あだ桜
夜半に嵐の
吹かぬものかは」

「今を盛りと咲く花も、一陣の嵐で散ってしまいます。人の命は、桜の花よりもはかなきものと聞いております。明日と言わず、どうか今日、得度していただけないでしょうか」

一日生きたということは、間違いなく一日死に近づいたということです。
それは、止めることも、後戻りもできません。

時計の針は、残された時を刻み、人は死への階を滑り落ちていきます。
こうしている間にも、一息切れれば、永久に戻らぬ後生です。

後生は、万人の100パーセント確実な未来。
しかし「今、死んだら」と、真剣に問い詰めると、お先真っ暗な気持ちになるのではないでしょうか。

幼き親鸞聖人が驚かれたのは、このことでした。

「人の命は、桜の花よりもはかなきものと聞いております。明日と言わず、どうか今日、得度していただけないでしょうか」

刻々と迫る無常に驚き、「今、死んだら」と思うと真っ暗になる心の解決一つを求め、仏門に入られた親鸞聖人が、先の歌からも彷彿とします。

親鸞聖人の出家は、この後生暗い心の解決を求めるほかに、目的はありませんでした。
同時にそれは、すべての人が仏法を求める唯一の目的でもあるということを、知っていただきたいと思います。

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