親鸞聖人のお歌の心を読み解くサイト

「袖触れ合うも多生の縁」

Posted on 9th 8月 2010 by はるき in 親鸞の教え

猛暑が続いています。

8月に入ってからの熱中症とみられる死者は、
読売新聞によると、判明しただけで28人(7日時点)に
なったそうです。

皆さん、熱中症への備えをされ、
体調管理にくれぐれも気をつけてください……。

今日も、親鸞聖人のお歌から学びたいと思います。

「力を尽し御房(おんぼう)は
 本願他力を説きたまう

 聖人たちまち直入(じきにゅう)の
 真心決定(しんじんけつじょう)ましませり」

 親鸞聖人は、旧友であった聖覚法印に連れられて、
法然上人の吉水の草庵に向かわれました。

そして、法然上人から真実の仏教を聞かれ、
阿弥陀仏の本願に救い摂られられたのです。

聖人29才の御時のことでした。

 親鸞聖人はその時の喜びを
教行信証の始めにこう叫んでおられます。

「噫(ああ)、弘誓(ぐぜい)の強縁(ごうえん)は
 多生にも値(もうあ)い難し」

「噫」とは言葉にならない喜び、驚きを
「ああ」と仰っています。

 電車の中でバッタリと中学生時代の友達と会ったら皆さん、
何て言いますか?

「ああ!」

と言った後に、

「○○君やないか。久しぶり!」

となるのでは、と思います。

ビックリしたら、言葉にならない言葉が先に出ることが
ありますよね。
日常生活の中で想像してみてください。

実は、親鸞聖人の「噫」は、20年ぶりに友達に会うぐらいでは
ないのです。

多生にもあえないことに親鸞、今あえた!という
喜びと驚きの言葉にならぬ言葉、なのです。

「多生」とはどういうことでしょうか。

 私たちは今、人間に生を受けていますが、
人間に生まれるまでに数え切れないほどの生死を
繰り返してきた、と仏教では教えられています。

「袖触れ合うも多生の縁」と言われます。

例えば、電車である人と袖が触れ合うということは、
実は、その人との因縁は人間として生を受けてからだけ
ではない、ということです。

 気の遠くなるような、
遠い遠い過去世からの因縁がなければ、あり得ない
ことなのです。

 考えてみれば地球上に67億の人がいるとして、
一生涯何人の人と袖が触れ合うでしょうか。

 そんなこと考えたことない……、
と思われるかもしれません。

 その時間に、その場所にあなたと、
袖が触れるまである人と近づく、ということは
よほど、その人と深い因縁があったに違いありません。

 その原因の根は私の想像も及ばないほど深い深いもの
である、ということなのです。

 一生、いや、ずーっと会うことも、
知り合いになることもない人がほとんどです。
その中で、その人と袖が触れ合うまで近づくのですから。

 そう思えば、そんな全人類の中から一人の女性と男性が
結婚して夫婦になる、ということは有り難いことなんだなぁと
知らされませんか?

 いやあ、たまたまだよ。何かご縁があったんだよね。
と思われるかもしれませんが、その「何か」がとてつもなく、
深いのです!

 仏法を知れば知るほど、夫は妻を、妻は夫をとても懐かしく、
感じられ、優しい気持ちでお互い接することができるのでは、
と思います……。

 親鸞聖人はこの教行信証のお言葉で
多生の間、求めても求めても値(あ)えないことに
親鸞、今値えた!という喜びを仰っているのです。

つづく

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