親鸞聖人のお歌の心を読み解くサイト

親鸞聖人は権力者の弾圧にも屈されず真実を伝え抜かれた

Posted on 22nd 6月 2011 by はるき in 親鸞の御歌解説

今日は夏至。
全国的に真夏日が続いていますが、
体調管理にはより気をつけたいと思います。

早速、親鸞聖人のお歌を続けます。

「かの吉水の一流は
 時機相応の法なれば
 そねみのあらし ふきおこり
 35歳のおん時に」

「吉水の一流」とは阿弥陀仏の本願のこと。

「かの吉水の一流は」とは、
かの京都・吉水の法然上人の説かれた阿弥陀仏の本願の教えは、ということです。

「時機相応の法」とは、老人も若い人も善人も悪人もすべての人の救われる教え、ということです。

そのような教えを法然上人が説かれていたので、吉水の草庵にはいろいろな階層の人が参詣しました。

庶民や武士に加え、聖道諸宗(天台や真言、禅宗など)の学者や公家・貴族まで、法然上人の信奉者が急増しました。

親鸞聖人のように法然上人のお弟子となった人は380余人あったと言われています。

そんな吉水の繁盛ぶりをだまった見過ごすことができない者があったのです。
いつの時代もまさるをねたむ人の心は変わらぬもの。

急速な浄土宗の発展に恐れをなし、聖道諸宗は強い危機感を抱きました。
彼らを支えた公家・貴族までもが、法然上人の支持に回るのは到底、黙視できなかったからです。

続いて、こう歌われています。

「南北僧の 讒奏に
 評議は不利に おちいりて
 住蓮安楽 両人は
 第一死刑を おこなわる」

「南北僧」とは南都・北嶺の僧侶ということ。
奈良や比叡の聖道諸宗の者たちが権力者にありもしないことを、浄土宗をおとしめる目的で、訴えました。

その評議が続いている最中に、法然上人のお弟子、住蓮房、安楽房の二人にあらぬ嫌疑がかけられたのです。
宮中の女御をかどわかした、というのです。

評議は、たちまち不利となり、浄土宗へ、無法な弾圧が加えられました。

承元元年(1207)、ついに、浄土宗は解散、念仏布教は禁止、法然・親鸞両聖人以下8人が流刑。
住蓮・安楽ら4人の弟子は死刑に処せられました。

聖道諸宗と権力者の結託で、日本仏教史上かつてない弾圧でした。
世に「承元の法難」といわれ、『歎異抄』末尾にも記されています。

「五濁の時機いたりては
 道俗ともにあらそいて
 念仏信ずるひとをみて
 疑謗破滅さかりなり」
      (親鸞聖人・正像末和讃)

私たちを本当に救いたもう御仏は本師本仏の阿弥陀仏だけである、という「一向専念無量寿仏」を強調する人ほど、激しい疑謗破滅がやってくる、と親鸞聖人は仰っています。

この大法難は
親鸞聖人の時代だけのことではないのです。

弥陀の本願を聞信し、お伝えする
平成の親鸞学徒も、その覚悟が問われている、と拝さずにおれません。

(つづく)

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