親鸞聖人のお歌の心を読み解くサイト

親鸞聖人の、恩師法然上人への思い

Posted on 22nd 5月 2012 by はるき in 親鸞の御歌解説

新緑まぶしい季節となりました。
肌寒くなったり、暑くなったりと気温の変化はまだ激しいようです。

続けて、親鸞聖人のお歌を学んでいきたいと思います。

建暦二年 免されて
配所の五年 夢の跡
名残惜しまれ 昨日今日
帰洛の旅の 身の軽さ

建暦二年、親鸞聖人は無法な束縛から解放され、
自由な身となられました。

過ぎてみれば、配所(流刑の地)での苦しかった5年の生活も、
夢のようなものでした。

いざ、去るとなると、越後の地への名残は尽きません。

しかし、京都には法然上人が戻っておられます。

一日も早くお会いしたく、
再会できる喜びから、
旅は、身も軽く、足どりも速かったのです。

親鸞聖人が流刑の判決を受けられ、法然上人と別れられた時は
もう二度と、法然上人には、お会いできないと
思っておられたに違いありません。

その時に親鸞聖人が法然上人に仰ったことは
今も胸に迫ります。

親鸞聖人
「お師匠さまは南国土佐へ……。
 遠く別れて西東。生きて再び、
 お会いすることができましょうか。

 覚悟していたことではございますが、
 あまりにも、あまりにも、早すぎます。

 お師匠さまぁー!」

親鸞聖人はご和讃に

  曠劫多生のあいだにも
  出離の強縁知らざりき
  本師源空いまさずは
  このたび空しく過ぎなまし  (『高僧和讃』)

幾億兆年のあいだにも、知り得なかった弥陀の本願。
お師匠さま、法然上人がおられなければ、親鸞、二度とないチャンスを
失い、永遠に苦しんでいたにちがいない。
危ないところを法然上人に救われた、

とまで仰っています。

有名な歎異抄には

「たとい法然聖人にすかされまいらせて、
 念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候」

と言われています。

たとえ法然上人に騙されて、念仏して地獄に堕ちても、
親鸞なんの後悔もないのだ、との仰せです。

あの人ならば、騙されて地獄に堕ちても後悔しない。
そんな人が私にあるだろうか……。

親鸞聖人の法然上人に対する敬慕の念、
尊敬の情は想像も及びません。

昔、関東の同行が親鸞聖人一人を命として
京都へ命がけの旅をしたことが
歎異抄に書かれています。

後生の一大事の解決こそが人生の目的であると知らされた
関東の同行にとって、
頼れる方は親鸞聖人、ただお一人でした。

命とできる人が、一人でもあれば
それは大変な幸せなことだと思います。

教えを説いてくだされる先生、善知識への思いを、
親鸞聖人や歎異抄のお言葉を通して知らされ、反省させられます。

その親鸞聖人が帰京の途中で
法然上人逝去の知らせを聞かれたのでありました……。

つづく

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