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比叡山で修行に励む親鸞聖人

Posted on 20th 6月 2009 by はるき in 親鸞の御歌紹介, 親鸞の御歌解説, 親鸞の生涯, 親鸞の苦悩

大曼行(だいまんぎょう)の 難行(なんぎょう)は
事(こと)なく成(な)され 給(たま)いしも
吾等凡夫(われらぼんぶ)の さとりには
叶(かな)わぬものと 百日(ひゃくにち)の

六角堂(ろっかくどう)の 観音(かんのん)へ
深夜(しんや)の祈願(きがん) 遂(と)げたまい
四句(しく)の御告(みつげ)と 吉水(よしみず)の
法然房(ほうねんぼう)を 示(しめ)さるる

(※浄土真宗親鸞会発行の正信聖典P.69~70参照)

大意
大曼行の難行も、親鸞聖人は完全に遂行なされたが、とても我々凡夫の助かる道ではないと、救いを求めて、六角堂の観音へ100日間、深夜の祈願を決行された。
救世観音は、四句の夢告と、京都・吉水の法然上人を示されたのであった。

浄土真宗のお経と言えば、大無量寿経、阿弥陀経、観無量寿経の浄土三部経ですが、天台宗は、お釈迦様の説かれた『法華経』の教えに従い、戒律を守り、煩悩と戦って悟りを得ようとする教えです。その修行は、峻烈を極め、まさに命懸けの難行でありました。

仏教の目的は、仏のさとりを得ることですが、天台宗では、
「私たちの本性は、清らかな仏性である。それが煩悩のさびによって曇っているから、修行によってそのさびを落とし、仏性を磨き出すことに全力を挙げよ」
と教えられます。

例えるなら、私たちは心の中にダイヤモンドのような素晴らしいものを持っている。それが煩悩というゴミやホコリがついて見えなくなっており、それで輝いていないのだ。
その煩悩の汚れやさびを、修行により磨いていけば、ピカピカに輝きわたる時が来る、という考えです。
磨く方法こそ異なれ、いずれの宗派も根底はこれしかありません。

煩悩とは、「煩い、悩む」と書くように、私たちを日夜、煩わせ悩ませるもので、全部で108あると教えられます。
大晦日に108回突く除夜の鐘も、ここからきています。
来年こそは、煩悩に煩わされないように、との願いが込められているのでしょう。

108の煩悩の中でも、特に恐ろしいものが3つあり、「三毒の煩悩」といわれます。
三毒とは、貪欲(とんよく:欲の心)、瞋恚(しんい:怒りの心)、愚痴(ぐち:ウラミ、ネタミの心)の3つです。

親鸞聖人の、比叡の山での日々は、まさしくこの煩悩との壮絶な格闘であったのです。

三毒の煩悩とは何かについては、次回にしたいと思います。

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