親鸞聖人のお歌の心を読み解くサイト

「なぜ生きる」親鸞聖人のお答え

Posted on 6th 6月 2013 by はるき in 親鸞の教え

6月になり、もう今年も半年が
たとうとしています。

アジサイの花も咲きつつあり、
本格的に梅雨が始まりました。

頑張って乗り切りたいと思います。

早速、
前回の続きをお話しします。

親鸞聖人は日野左衛門に
「なぜ生きる」を明らかになされました。

一夜の宿を邪険に断ったことを悔い、
石を枕に、雪を褥に門前で
休んでおられた親鸞聖人を
自宅に招き入れた日野左衛門でした。

坊主嫌いで宿を断った日野左衛門に、
親鸞聖人は事情を聞かれる。

葬式や法事だけをする坊主は論外で、
どう生きるかを教えるのが坊主の役目だろう、
と日野左衛門は憤慨していたのです。

しかし、親鸞聖人はどう生きるかも大事だが、
「なぜ生きる」はもっと大事ではなかろうか、と
日野左衛門に問われました。

「そう言われればそうだ……。
なぜ生きるかの一大事を、
おれは忘れていたのか……」

とわれに返った日野左衛門。

親鸞聖人はすかさず、それをはっきり教えられたのが、
仏法を説かれたお釈迦さまであることを
話されました。

親鸞聖人の主著『教行信証』冒頭に

「難思の弘誓は難度の海を度する大船、
 無碍の光明は無明の闇を破する慧日なり」

と仰っています。

難思の弘誓とは阿弥陀仏の本願のこと。
阿弥陀仏とはどんな仏さまかと言いますと

蓮如上人は『御文章』で

「ここに弥陀如来と申すは三世十方の諸仏の本師本仏なり」

と言われているように、
大宇宙にまします無数の仏の本師本仏、
先生が阿弥陀如来という仏さまなのです。

お釈迦さまは諸仏の一仏ですから、
お釈迦さまの師匠にあたる仏が阿弥陀仏です。

その阿弥陀仏のなされたお約束が阿弥陀仏の本願なのです。

「難度の海」とは私たちの一生のこと。
苦しみ悩みの波の絶えない海のようなものが人生である、
ということです。

そんな難度海にあって、大きな大きな船がある。ということは
誰でも乗れる、ということです。
70億の人、全人類が乗ってもいっぱいになることはない。
そんな船を阿弥陀仏が作ってくだされたのです。

難度海には丸太や板切れが浮いている。
金や財産、健康、名誉、地位、妻子、邪教、迷信などがそれです。

丸太や板切れは海に浮かんでいますから、必ず裏切られる時がくる。
難思の弘誓という大船のみが裏切らない、難度の海を
明るく渡してくだされる船なのです。

だから親鸞聖人は一向専念無量寿仏を徹底して教えられました。
これはお釈迦さまのお言葉です。

無量寿仏とは阿弥陀仏のことですから、阿弥陀仏一仏に
向きなさい、阿弥陀仏だけを信じなさい、ということです。

阿弥陀仏だけが私たちを救う力がある、だから
親鸞聖人はこのこと一つ徹底されたのです。

あまりにも一向専念無量寿仏を徹底なされましたから、
当時の人々は親鸞聖人の教えを一向宗とまで言うようになったのです。

しかし、殺生ばかりしている俺なんか、縁なき衆生さ、と
あきらめていた日野左衛門に、さらに親鸞聖人は仰います。

この苦しみの海を乗せて、阿弥陀仏の極楽浄土まで渡してくだされるのは
阿弥陀仏の船だけです。

他の諸仏も助けようと悲願をたてられましたが、
その悲願に漏れたのが私たちなのです。

阿弥陀仏が必ず乗せてくだされる。
だからあきらめなくていいんです。

聞法の場はこの船に乗せていただくための場です。
乗りたかったら仏法を聞きなさい。

あきらめる必要はない。
近くに大船があるから乗りなさい。
この船のあること、どうしたら乗せてもらえるのか、
そのことを聞くのです。

この船に乗せていただくことこそ、
人生の目的であり、なぜ生きるの答えなのです。

順々と親鸞聖人は日野左衛門に話されたのです。

「なぜ生きる」親鸞聖人のお答えに驚いた
日野左衛門は続けて真剣に聞くようになり、
後日、石を枕に休まれた我が家を、枕石寺と名付け、
弥陀の本願を関東に伝えた、二十四輩の一人、
入西房となったのです。

引き続き、浄土真宗親鸞会でお聞きしたことを
お話ししたいと思います。

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