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親鸞聖人が比叡の山で闘った煩悩とは?

Posted on 1st 7月 2009 by はるき in 親鸞の生涯, 親鸞の苦悩

9歳で出家なされ、比叡山天台宗の僧侶となられた親鸞聖人は、日々、釈尊の説かれた法華経の修行に打ち込まれました。
それは、煩悩との戦いの日々でありました。

今回この煩悩について述べるにあたって、親鸞会で親鸞聖人の教えを学ぶ知人に詳しく聞いてみました。
煩悩とは、私たちを煩わせ悩ませる心のことで、一人に108あると教えられます。
これを108の煩悩と言われます。

中でも恐ろしいのが、三毒の煩悩と言われる、貪欲、瞋恚、愚痴の心です。

貪欲とは、あれが欲しい、これが欲しいという欲の心です。
60数億の人間の中で、欲のない人はありません。

代表的なものを五欲といい、食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲の5つです。

食欲は、食べたい飲みたいという心です。生きるためには仕方がないと、死にたくないウシやブタ、ニワトリや魚など、目生き物の命をどれだけ日々奪っているでしょう。
一円でも多くのお金が欲しい、物が欲しいという財欲のために、遺産相続で肉親と骨肉相はむ争いを始めます。
男は女を、女は男を、常に異性の関心を得ようと身を焦がし、寸時も安らかでないのが色欲です。三角関係のトラブルは、古今を通して、絶えたことがありません。
有名になりたい、褒められたい、認められたいと焦っているのが名誉欲。出世したい、一番になりたいと、競争社会では地位や名誉を得るために、人々は他人を欺き、蹴落としても平気です。
睡眠欲は、朝晩はもちろん、暇があったら一分一秒でも長く寝ていたい、楽がしたいと思う心です。

底無しの欲望は、どこまでいっても満たされることはなく、その欲のために、どれだけ恐ろしいことを思い続けているかしれません。

瞋恚とは、欲の心が妨げられると出てくる、怒りの心です。
怒という字は、心の上に奴と書きます。あいつが邪魔するからだ。こいつさえいなければと、心の中で殺しているのが怒りであり、激しいことは炎のようです。
人前で侮辱されたらどうでしょう。
「あいつのせいで、恥かかされた」
と一生忘れられません。逆上して、衝動のままに親でも子供でも恩人でも切り刻み、八つ裂きにします。毎日のワイドショーでは、そんな事例に事欠きません。

愚痴とは、恨んだり、ねたんだりする心です。他人の幸せは苦々しく、他人の不幸がおもしろい心です。
にわか雨に遭って狼狽している人を見て、喜ぶ心はないでしょうか。犬にほえられ、困惑している人を見て、笑ってはいないでしょうか。艶々たる美人が泥道で足を滑らせ、衣装を汚し、醜態を演じているのを見て楽しんではいないでしょうか。
「お気の毒に」と口では言いながら、ひそかにほくそえむ心があることに慄然とします。醜い心がとぐろを巻いています。このような心で悪を造り、苦しんでいるのが私たちです。

親鸞聖人は、ブッダの教えにしたがい、これら煩悩と戦い、悟りを得ようと厳しい修行に励まれたのです。

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