親鸞聖人のお歌の心を読み解くサイト

恋わずらいに苦しまれる親鸞聖人2

Posted on 30th 10月 2009 by はるき in 未分類, 親鸞の苦悩

 まもなく11月です。11月と言えば、親鸞聖人の報恩講が行われる時期ですね。
報恩講とは何か、少しお話ししたいと思います。

 親鸞聖人報恩講は浄土真宗で、一年の中でもっとも大きな優れた行事です。

 報恩講とはご恩に報いる集まりのこと。

 ご恩とは、どなたのご恩でしょう?

 それは、親鸞聖人のご恩なんです。

 そう言われてもピンと来ない方は、どんなご恩を親鸞聖人から受けているのかを知れば、なるほど、と納得されると思います。

 親鸞聖人のご恩を知るために、親鸞聖人の教えられたことを、前回の話しを続けて、ともに学ばせていただきたいと思います。

 ひょっとした縁で会われた、不思議な女性への恋心に苦しまれる親鸞聖人。恋わずらいは年ごろの人ならばだれでも経験すると思いますが、親鸞聖人は何を問題にされ、苦しまれたのか、私たち一人一人の心を見つめる機会として考えてみましょう。

 聖人、叡山でのご修行中にこのようなことがありました。
ある石仏の前で合掌される聖人の近くを、一晩遊びあかした朝帰りの僧侶たち三人が通りかかりました。

「あー、楽しかったー」
「たまには息抜きも必要じゃわい」
「おっ、あれは親鸞ではないか」
「ん?ああ、あれが、叡山の麒麟児と言われる親鸞か」

 その声に気づき、聖人は三人に一礼されました。

「のぉ親鸞殿。よう頑張られるが、そなたもたまには、息抜きに行ってこられたらどうじゃ」

親鸞聖人「いいえ、私は……」

「そなただってほんとは女子(おなご)が好きじゃろう」
「そなたみたいないい男、『親鸞さま、親鸞さま』と言って女子のほうで離さんぞ」

親鸞聖人「そ、そんな……」(ポッと、赤面された聖人)

「おお、赤くなった。どうやら図星じゃな。そなた、女子のことばかり考えておるんじゃないか」

「んーそうじゃろうなきっと。どうじゃ?」

 聖人は返答に窮してしまわれる。

 僧侶たちはその横を通り抜け、「叡山の麒麟児も、煩悩には勝てず、か!」と笑いながら、通り過ぎて行ったのです。

親鸞聖人「ああ、何たることだ。オレは、体でこそ抱いてはいないが、心では抱き続けているではないか。あの女性のことばかりが心に浮かぶ。それなのに、オレほど戒律を守っている者はないと自惚れて、彼らを見下している。心の通りにやっている彼らの方が、よほど私より正直者ではなかろうか」

 ここで、仏教では我々の行いに三通りあると教えられることを確認したいと思います。

・身業
・口業
・意業

 この三つを「三業」と仏教で言われます。身業とは身体の行い。口業とは口でしゃべる行いです。意業とは心の行いで、心で思うことを言います。仏教ではこの三つの中で意業がもっとも重いと教えられます。なぜならば、身体や口の行いの元は心であり、心が命ずるままに身体は動くのであり、口はしゃべるからです。心で悪いことを思っているとすれば、身体も口も悪に汚染されるのです。

 親鸞聖人は戒律を守らねばならぬご修行中の身。身体や口、上辺は立派なように取り繕うことはできても、心ではどうか。平然と戒律を破り、人に言えないことばかり思い続けているわが身に聖人は驚かれたのです。親鸞聖人の後生ハッキリしたい、何とか明るくなりたい、の真面目さは聖人の眼を自己の心へと向けさせたのです。

親鸞聖人「彼らは昼間は女性のことを忘れていることもあるだろう。しかし親鸞は押さえよう、思わないようにしようとして押さえられず、無間のどん底から恐ろしい悪性が吹き上がってくる。オレは24時間休む間なしに犯し続けているではないか。そうであれば、心で悪を造り続けている親鸞の方が、平家の落武者よりもお粗末で、罪が重いではないか」

 見ザル、聞かザル、言わザルの三つのサルは制御できても、思わザル、だけはどうしようもなかった。

親鸞聖人「醜い心を抱えながら、上辺だけを取り繕って、仏の眼を欺こうとしているこの親鸞こそ、偽善者ではないか。ああ、この心、一体どうしたらよいのか!」

 力なく、林間を、大乗院に、上ってゆかれる聖人でした。(つづく)

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