親鸞聖人のお歌の心を読み解くサイト

下山の決意

Posted on 19th 12月 2009 by はるき in 親鸞の苦悩

 12月は師走といわれるように、何かと忙しいです。やるべきことが満載、いや終らない、
という感じがするのは私だけでしょうか……。

 なぜ「師走」と言われるのかと調べると、お経をあげるために師僧が
東西を馳せ走る月であるから、という説があるそうです。

 15日から年賀状の受け付けが開始されました。

ああ、お世話になった方々に書かなきゃ、と心はあせります。
車検も受けなきゃ、
家の大掃除もしなきゃ、
実家(両家)に帰る段取りを決めなきゃ、
と、きゃ、きゃ、きゃーっと走り回って今年も終わってゆく……。

毎年同じ事を繰り返し、あっという間に5年、10年……と
経っていくのですね。

今日やるべきことは明日に残さぬ、悔いを残さぬ、
そんな一日一日としたいと思います。

 前置きが長くなりました。早速、前回の続きをお話しします。

 ある満月の夜。親鸞聖人は比叡山から、琵琶湖を見下ろされて……。

親鸞聖人「ああ、あの湖水のように、私の心はなぜ静まらないのか。
     静めようとすればするほど散り乱れる。

     どうして、あの月のようにさとりの月が拝めないのか。
     次々と煩悩の群雲で、さとりの月を隠してしまう。

     このままでは地獄だ。この一大事、
     どうしたら解決ができるのか……」

『歎徳文』という古書に、当時の親鸞聖人の生々しい苦闘が記されています。

「定水を凝らすといえども、識浪しきりに動き、心月を観ずといえども、
 妄雲なお覆う。しかるに、一息つがざれば、千載に長うゆく。
 なんぞ、浮生の交衆をむさぼって、いたずらに仮名の修学に疲れん。
 すべからく勢利をなげうって、ただちに出離をねがうべし」(歎徳文)

「定水を凝らす」とは、波一つない、静かな水面のような心になろうとすること。
「識浪」とは心の波のことで、「識浪しきりに動き」とは欲や怒りの心が絶えず
逆巻くことを言われています。

 親鸞聖人は深夜、琵琶湖の湖水を眺められ、静まらぬ、
押さえられぬ心に泣かれました。

「心月」とはさとりのこと。「妄雲」とはみだらな心、
さとりを得るのを妨げる悪い心を言います。

 涙にくもる眼を天上にうつすと、月はこうこうと冴えている。
しかし親鸞聖人の心の天は煩悩の群雲に隠され、さとりの月が拝めない。

 こんな暗い心のままで、死んでいかねばならないのかと思うといても
立ってもおれない、親鸞聖人の苦悩が痛いほど伝わってきます。

親鸞聖人「果たして、この山に私の救われる道があるのだろうか。

     煩悩に汚れ、悪に染まった親鸞を導きたもう大徳は
     ましまさんのか……」

 がっくりうなだれ、大乗院への道を、帰ってゆかれる聖人。
足取りは重い……。堂内に入り、合掌。決意して、立ち上がられ、
笠と杖を手に取って、出てゆかれる……。

 求道に、精も根も尽き果てられた聖人は、
二十年間の天台・法華の教えに絶望なされ、ついに、
下山を決意せられたのでした。

つづく

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