親鸞聖人のお歌の心を読み解くサイト

往生の一路は平生に決す

Posted on 14th 2月 2010 by はるき in 親鸞の教え

 まわりの雪は少しずつとけ始めているようですが、
春の訪れを楽しみに待つ今日この頃です。

 「往生の一路」という詩吟を親鸞会の知人から
聞かせてもらい、その意味を教えてもらいました。

 詩吟も、またその内容も強く心に残り、
深い深い哲理がこめられているような感じがして
もっと意味を知りたい!聞きたい!と思ったんです。

「往生の一路」とは次の歌です。

「往生の一路は平生(へいぜい)に決す
今日(こんにち)何ぞ論ぜん死と生とを
蓮華界裡(れんげかいり)の楽を快(たの)しむに非ず
娑婆界(しゃばかい)に還来(げんらい)して
群生(ぐんじょう)を化(け)せん」

 親鸞聖人のお歌、ではないですが、
江戸時代(200年ほど前)の法霖(ほうりん)
という浄土真宗の学者が臨終に詠んだものだそうです。

 蓮如上人以来、親鸞聖人の教えに関して
ダントツの学者、とお聞きしました。

 難しい言葉ではありますが、
分らせていただいた意味を少しなりと
お伝えしたいと思います。

「往生の一路」とは
いつ死んでも極楽参り間違いない、
ということ。

「平生に決す」とは
それは平生にハッキリするのだ。

 弥陀の救いは平生の救いであり、
平生、生きている時にハッキリする、
ということです。

 平生業成の教えをここで
言われているのです。

 平生業成とは親鸞聖人の教えのすべてを
漢字四字であらわした一枚看板と言われる
言葉です。

『なぜ生きる』という本には次のように
書かれています。

「平生」とは「現在」のこと。
人生の目的を「業」という字であらわし、
完成の「成」と合わせて「業成」と
いわれる。
「平生業成」とは、まさしく、
人生の目的が現在に完成する、
ということだ。(『なぜ生きる』4ページより)

とあります。

人生の目的とは
苦しくともなぜ生きるのか、ということ。

人は何のために生きるのでしょう。

家族のため、仕事のため、
バンクーバー五輪で金メダルをとるため、
ノーベル賞のため、いろいろ思い浮かぶ人も
あるでしょう。

あなたはそのために生まれてきたのでしょうか。
辛く苦しくとも生きねばならないのでしょうか。

もしあなたが太平洋の真ん中に放り出されたら
どうしますか?

空と海しか見えない大海に一人、投げ出された。

「泳ぐしかない」

それではどこに向かってでしょうか。

体力には限りがあります。一生懸命泳いでも
その先に陸地や船がなければ、溺れて死んでしまう。

一生懸命泳ぐことが良いこととは言えない。
どこへ向かって泳ぐのか。泳ぐ方角が最も大事では
ないでしょうか。

生きることも同じです。
方角を知らず、一生懸命生きても
暗い一生で終わってしまう……。

 親鸞聖人90年の生涯は

生きる目的がある。それは生きている時に完成できる。
だから早く達成せよ、という
「平生業成」の教え以外にありませんでした。

そのことを法霖は
「往生の一路は平生に決す」と
歌われたのでしょう。

 そして平生業成の教えをハッキリ知らされた
法霖は次にこう断言されています。

「今日何ぞ論ぜん 死と生とを」

「今日、私は死ぬ。しかしもう問題ではない。
死んだらどうなるか、ということ、そして
苦しくともなぜ生きるか、ということも」

 何という信念でしょう。
臨終にこのようなことが言えるのは
往生の一路が平生に決した人だけと
思わずにおれません。

 親鸞聖人のみ教えを聞き、
このような身に一日も早くならせていただきたいと
思いました。

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