親鸞聖人のお歌の心を読み解くサイト

親鸞聖人、夢告から10年。29歳で解けたナゾ

Posted on 27th 5月 2010 by はるき in 親鸞の教え

 一日一日が矢のように過ぎていく今日この頃です。
その矢はいったい、どこに向かって飛んでいるのかなぁと、
忙しいと飛び回っている自分を反省します……。

親鸞聖人のお歌に戻ります。

「六角堂の観音へ 深夜の祈願遂げたまい
 四句の御告(みつげ)と吉水の 法然房を示さるる」

 29歳の時、求道に精も根も尽き果てた親鸞聖人は、
20年間の天台宗の法華経の教えに絶望され、ついに下山を決意されました。

 山を捨てられた親鸞聖人は、後生の一大事の解決一つを求めて、
京都の六角堂の救世観音(ぐぜかんのん)に、百日の祈願をなされたのです。

 六角堂とは、聖徳太子の建立されたもの。

『十年の命』、との聖徳太子の夢告からちょうど10年。

激しい無常と罪悪に責め立てられ、親鸞聖人の求道は決死でありました。

 10年前、聖徳太子の

「そなたの命は、あと、十年なるぞ」

という予告は何を意味していたのでしょうか。

 次のお歌の

「力を尽し御房(おんぼう)は 本願他力を説きたまう
 聖人たちまち直入(じきにゅう)の 真心決定(しんじんけつじょう)ましませり」

のとおり、親鸞聖人は聖徳太子の夢告からちょうど10年後に、
法然上人にお遇いし、真実の仏教、阿弥陀仏の本願を聞かれるようになりました。

そしてその阿弥陀仏の本願によって救い摂られ(真心決定なされ)ました。

親鸞聖人は阿弥陀仏に救い摂られた時に一度死んだ、と仰っています。

それは『愚禿鈔(ぐとくしょう)』という親鸞聖人の著書に、こう書かれています。

「本願を信受(しんじゅ)するは 前念命終(ぜんねんみょうじゅう)なり、
 即得往生(そくとくおうじょう)は後念即生(ごねんそくしょう)なり」(愚禿鈔)

 本願を信受するは、とは阿弥陀仏の本願、お誓いどおりの身に救われて、絶対の幸福になったことを言います。
「前念命終」の前念とは迷いの心のこと。迷いの命が死んだ、と仰っています。

 即得往生とは、即ち往生を得る、ということ。即ちとは「一念」のことです。

「一念とはこれ信楽開発(しんぎょうかいほつ)の時尅(じこく)の極促(ごくそく)をあらわす」
(教行信証)

と仰っていますように、弥陀に救われる極めて速い時間を「一念」と言います。
何百兆分の一秒よりも速い時間です。
往生を得るとは救われるということ。
後念即生とは、明るい心が生まれるということです。
阿弥陀仏から南無阿弥陀仏を賜るということです。

阿弥陀仏に救われた一念で、後生暗い心が死に、後生明るい心が生まれる。
親鸞聖人はこのように、弥陀に救われた時は「心の、臨終と誕生の同時体験」させられる時である、と言われているのです。

 聖徳太子が夢告で「十年余りで死ぬ」とおっしゃったのは、肉体でなく、迷いの心であった、と親鸞聖人は弥陀に救われてハッキリ知らされられたのです。

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